中フランク王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(から転送)
中部フランク王国
Francia media
image 843年 - 855年 image
image
image
image
843年
公用語 古オランダ語(英語版)
古フリジア語
古高ドイツ語
古ザクセン語
古フランス語
古イタリア語(イタリア語版)
宗教 カトリック
首都 アーヘン
国王
843年 - 855年 ロタール1世
変遷
ヴェルダン条約 843年
プリュム条約855年

中部フランク王国(ちゅうぶフランクおうこく、独: Mittelreich: Francie médiane)は、ヴェルダン条約によるフランク王国の分裂によって、東フランク王国西フランク王国の中間に、カール大帝の孫で神聖ローマ皇帝の称号を持つロタール1世の領土として建てられた王国である。中フランク王国ロタール王国ロタール領ロタールの国と呼ぶこともある。

843年のヴェルダン条約によって国土は、イタリア、ブルゴーニュ、プロヴァンス、西アウストラシアに及んだ。領土が入り組んだ形になったのは重要拠点を中部フランク王国が取得したからであるが、その諸民族を統率するべき歴史的、民族的、あるいは地理的一体性もない人為的な建国で、その維持は困難であった。855年のロタール1世の死後、遺領は息子たちがプリュム条約(英語版)に基づきこれをロタリンギアプロヴァンスおよびイタリアに3分して治め、870年メルセン条約で、それぞれ東フランク王国(国王ルートヴィヒ2世)、西フランク王国(国王シャルル2世)、イタリア王国(国王ロドヴィコ2世)に割譲された。

国王

]
  • ロタール1世(中部フランク王在位:843年 - 855年、神聖ローマ皇帝在位:840年 - 855年)
  • ロドヴィコ2世(ロタール1世の長子 イタリア王 兼 神聖ローマ皇帝在位:855年 - 875年)
  • ロタール2世(ロタール1世の次子 ロタリンギア王在位:855年 - 869年)
  • シャルル(ロタール1世の末子 プロヴァンス王在位:855年 - 863年)

関連項目

]

ウィキペディア, ウィキ, 本, 書籍, 図書館, 記事, 読む, ダウンロード, 無料, 無料ダウンロード, 携帯電話, スマートフォン, Android, iOS, Apple, PC, ウェブ, コンピュータ, 中フランク王国 に関する情報, 中フランク王国 とは何ですか? 中フランク王国 とはどういう意味ですか?

0 返信

返信を残す

ディスカッションに参加しますか?
自由に投稿してください!

返信を書く

必須項目は*で表示されています *