ルッカ公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルッカ公国
Ducato di Lucca (イタリア語)
image
image
1815年 - 1847年 image
image image
(国旗) (国章)
image
ルッカ公国の位置
公用語 イタリア語
首都 ルッカ
1815年 - 1847年 カルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネ
変遷
成立 1815年
トスカーナ公国への譲渡1847年
現在image イタリア

ルッカ公国(ルッカこうこく、イタリア語: Ducato di Lucca)は、19世紀前半にイタリア中部にあった国家である。現在のトスカーナ地方の一部にあたり、ルッカを首都とした。

1815年ウィーン会議の決定により建国されたが、トスカーナ大公国に併合された。

歴史

]

ルッカ公国は、1815年ウィーン会議の決定により、かつてのルッカ共和国の故地に成立した。会議では、カルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネが領主に、その母のマリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネが摂政として指名された。カルロ・ルドヴィーコはパルマ公国のブルボン家(ブルボン=パルマ家)出身である。ウィーン会議では、パルマ公国がマリア・ルイーザ(ナポレオンの元皇后)に与えられたため、その代替としてルッカが与えられたのであった。

この公国は、最初から短命が約束された国家であった。会議の決定には「公国はカルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネの死まで存続し、その後はトスカーナ大公国に併合される」との条項があったためである。

マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネが1824年に亡くなり、その息子はカルロ1世の名とともに完全に主権を引き継いだ。まずは、幹線道路とさまざまな土地の改良を土台とした政策に着手した。

バーニ・ディ・ルッカという土地を温泉の中心だけではなく、貴族政治と全ヨーロッパの中産階級の再発見の様に発展させるすべを模索した。特にこの時期はヨーロッパで最初のカジノであるカジノ・ディ・ルッカが生まれた。これらの発展のために必要とされた巨大な財源が原因で破綻した。

1847年12月、パルマ女公マリア・ルイーザが没すると、カルロ・ルドヴィーゴは父祖の地であるパルマ公国を継承し、パルマ公カルロ2世となった。これとともにルッカ公の地位を失い、ルッカ公国はトスカーナ大公国に編入された。

関連項目

]

外部リンク

]
  • Bandiere nella Storia di Lucca
  • Pagina realizzata dalla Regione Toscana sulla storia di Lucca

ウィキペディア, ウィキ, 本, 書籍, 図書館, 記事, 読む, ダウンロード, 無料, 無料ダウンロード, 携帯電話, スマートフォン, Android, iOS, Apple, PC, ウェブ, コンピュータ, ルッカ公国 に関する情報, ルッカ公国 とは何ですか? ルッカ公国 とはどういう意味ですか?

0 返信

返信を残す

ディスカッションに参加しますか?
自由に投稿してください!

返信を書く

必須項目は*で表示されています *