ラグビー日本代表

ラグビー日本代表(ラグビーにほんだいひょう)は、日本ラグビーフットボール協会が組織するラグビーユニオンナショナルチーム。愛称は「ブレイブ・ブロッサムズ」(Brave Blossoms)。他のスポーツに先駆けて、1966年から現在まで略称として「ジャパン」と呼ばれ、さらにヘッドコーチ名を冠し「エディージャパン」などと呼ぶ。ファーストジャージは赤と白のストライプで、左胸に「全開の桜3弁」を配置し「桜のジャージ」と呼ばれる。日本代表に準じるセカンドチームに、「JAPAN XV(ジャパン・フィフティーン)」がある。

ラグビー日本代表
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2025年7月25日 ウェールズ代表戦
ユニオン 日本ラグビーフットボール協会
愛称 ブレイブ・ブロッサムズ
ジャパン
エンブレム
ヘッドコーチ image エディー・ジョーンズ(2012-2015, 2024-)
最多キャップ 大野均 (98cap)
最多得点選手 五郎丸歩 (711点)
最多トライ選手 大畑大介 (69回)
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ファースト
ジャージ
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セカンド
ジャージ
初国際試合
image 日本 3 - 3 image カナダBC州
(1930年9月24日)
最大差勝利試合
image 日本 155 - 3 チャイニーズタイペイ image
(2002年7月6日)
最大差敗戦試合
image ニュージーランド 145 - 17 日本 image
(1995年6月4日)
ラグビーワールドカップ
出場回数 10回 (1987年初出場)
最高成績 ベスト8 (2019)
ワールドラグビーランキング
直近 12位 (2025年7月7日現在)
最高 6位 (2019年10月19日)
最低 20位 (2003年11月3日-2004年2月9日,
2004年3月1日-5月3日,
2006年6月19日-10月23日)
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直近の動向・対戦結果

直近の 対戦結果 および 動向の詳細は、「ラグビー日本代表 2025年メンバー」を参照。

現在の選手・スタッフ

チームコンセプト「超速 AS ONE」

2025年6月11日、日本代表強化合宿(6月16日開始)に参加する選手発表の場で、チームコンセプト「超速 AS ONE」をエディー・ジョーンズHCが発表した。「超速」は、Physical(パス、ラン、キックの速さ)、Thinking(考える速さ)、Collaboration(連携・団結の速さ)を意味する。「AS ONE」は、Value(共通の価値観)、Goal(明確な目標)、Action(具体的なアクション)を意味する。

テストマッチの大敗が続く

第2次エディー・ジョーンズヘッドコーチ体制1年目の2024年の秋には、以下のようにテストマッチでの大敗が続き、批判が強まった。

  • 2024年10月26日のニュージーランド代表戦(オールブラックス戦) は、19-64で大敗した。
  • 2024年10月30日からヨーロッパ遠征。初戦フランス代表に8トライを奪われ、12-52(前半0-31)で大敗した。
  • 2024年11月16日のウルグアイ代表戦では、日本がイエローとレッドのカードを1枚ずつ出した苦戦のなか、36-20で勝利した。
  • 2024年11月24日のイングランド代表戦では、ラインアウト・スクラム・モールなどセットプレーの多くが崩壊し、多くのミスを出し、9トライを奪われ、14-59(前半7-35)で大敗した。

日本代表の現状に関する意見

  • 2024年11月24日の試合後、WTBでリザーブ出場した梶村祐介は、「失点の多さについて、選手からは改善策の声が挙がっているが、練習には反映されていない。選手たちは、コーチから指示が降りてきたものしか出来ない。プランの変更はあまりなくて、もっと修正してゲームに臨めたのにな、と感じる」と、攻撃面の練習が中心で、大量失点を防ぐ守備対策がほとんどなされていないことを明かした。
  • 2024年11月24日、試合後の会見でエディー・ジョーンズは「シーズンを通じて、特にここが伸びたという成長点もなければここがひどくなった、という点もない。プロセスを信じてやり続けることが大事だ」と語った。11月26日に帰国した際の会見では、選手からの不満の声が出ていることに対して、「結果が出ず、選手から反発があるかもしれないが、新チームのスタート時は起こりがち。選手とのコミュニケーションの問題」だとして一蹴。「アタックがよくなれば、おのずとディフェンスもよくなる。アタックで世界一になることには自信を持っている」と述べた。
  • 2024年11月25日、横浜キヤノンイーグルス監督の沢木敬介は、「日本代表は、日本の選手全員が『そこでプレーしたい』と目指し、憧れる場所であってほしい。テストマッチは国を代表して戦う。選手育成はテストマッチの前段階で行うべきだ。テストマッチは、『試した結果、負けてもいい』という感覚でやる試合ではない」と述べ、現状が「キャップの安売り」であると指摘した。
  • 2024年11月25日、元日本代表の坂田正彰は、「テストマッチ経験の少ない選手を多く起用し、国際舞台で経験を積ませることで実力アップを図る狙いは理解できる。第2次エディージャパンに結果は出ていないが、それでも目先の結果にこだわるよりも、先々を見据えたチーム作りは間違いないと考える」と、現状を肯定的に捉えた。
  • 2024年11月25日、元U23日本代表監督の砂村光信は、「強豪国では20歳前後の一番伸び盛りの選手を育成するシステムが整備されているが、大学ラグビーが中心の日本は、大きく遅れを取っている」と、かつて大学ラグビーが日本のラグビー人気を支えていた伝統への改革を求めた。

2026年から新しい国際大会

2023年10月24日、ワールドラグビーは、上述「パシフィックネーションズカップ」刷新のほか、2026年からの男子新国際大会創設などを発表した。

  • ワールドラグビー ネーションズ・チャンピオンシップ - 2年に1度、欧州6か国(シックス・ネイションズ)と、南半球4か国(ザ・ラグビーチャンピオンシップ)に、2チームが新たに加わり、12か国の総当たり戦を行う。AFP通信などによると、日本とフィジーの参加が有力視されている。同時に下部ディビジョン(12チーム)も創設し、2030年からは2つのディビジョン間で昇降格制度を始める。
  • ラグビーワールドカップ2027(2027年10月1日 - 11月13日)- 参加国を4つ増やし24か国とし、4か国ずつ6プールで行う。決勝ステージは、各プールの上位2か国(計12か国)が自動的に進出、3位チーム6か国のうち上位4か国を加え、合計16か国によるトーナメントとなる。これによりプール戦は4か国編成(各国3試合)となり、ワールドカップ2023より1週間短い6週間(7回の週末)へと大会期間が短縮され、各国とも約1週間の対戦間隔に揃う。組み合わせ抽選は2026年1月。

代表資格

国籍は関係ない

ラグビーでは、国の代表チームとしてプレーする際に、国籍は問われないため、「所属協会主義」という。ワールドラグビーの レギュレーション8条 により、代表資格は以下の条件で規定されている。

  • 当該国(日本)で出生している、または、
  • 両親、祖父母の1人が当該国(日本)で出生している、または、
  • プレーする時点の直前の60か月間継続して当該国(日本)の 協会もしくはラグビー団体のみ に登録されていた、または
  • プレーする時点までに、通算10年間、当該国(日本)に滞在していた。

U20などジュニア代表では、他国での出場は不問。ただし、7人制ラグビーが行われるオリンピックおよびその予選の場合、ワールドラグビーの代表資格規定は該当せず、その国の国籍を持つ選手のみ(国籍主義)となる。

2024年8月1日から緩和され、それまで「60ヶ月間継続して居住していなければならない」という規定は撤廃され、その国内チームにのみ60か月(5年)在籍していれば条件を満たしていることになった。5年以上静岡ブルーレヴズに所属していたマロ・ツイタマは、2024年7月15日から日本代表合宿に召集され、8月25日(日本時間26日)に日本代表として初出場した。

帰化した選手が少なくない

「外国人選手が多い」という批判がある が、日本は外見的特徴からそのように指摘されやすい。他の国のラグビー代表チームも同様に、異なる国の出身者が多く含まれる。

ワールドカップ2023において、自国出身選手のみで構成されたのは、南アフリカ共和国とアルゼンチンだけだった。

学生時代から日本で生活し、日本に帰化(日本国籍を取得)している日本代表選手も少なくない。

南太平洋諸国に配慮した新条件

2022年1月1日から、以下の基準を満たす場合に選手が一つの協会(国)から別の協会(国)へ変更できるようになった。これは、フィジー、サモア、トンガなどの南太平洋の国々出身の選手(小さな島々の出身ということで「アイランダー」とも呼ばれる)が、活躍の場や経済力を求めて外国に行ってしまい、出身国のラグビー運営に支障が出ることへの配慮を主とする規約改正(生得権の枠組みの変更)である。

  • 36ヶ月間、ラグビーの国際試合に参加していない。
  • 選手が移動を希望する国で生まれている、または親や祖父母のうち誰かがその国で生まれている。
  • 選手は一度だけ協会を変更することができ、各ケースはワールドラグビーの承認が必要となる。

所属協会主義

上述のように、ラグビーユニオンは所属協会主義である。ラグビー発祥の地イギリスは、サッカー同様、イングランドスコットランド・ウェールズ・アイルランドの協会に分かれる。また、かつてイギリスは世界中に多くの植民地(南アフリカ共和国・フィジー・香港など)を持っていた。

現在も、ニュージーランドオーストラリア・カナダなど英連邦王国は15か国ある(ただし国家としてそれぞれ独立している)。またアイルランド代表は、イギリスの北アイルランドと、アイルランドとの2か国による合同チームである。

19世紀の終わり頃から、これら人的交流のなかでは、各国のラグビー代表を国籍でくくることが難しかった背景がある。

ノンメンバー「柱」

代表戦で試合出場に登録された23人以外の代表選手の事を「ノンメンバー」と呼ぶが、日本代表はノンメンバーを『柱』と呼んでいる。『柱』と名付けたのは日野剛志である。日野が代表に選ばれたが残念ながらノンメンバーとなった際に、ジェイミー・ジョセフ監督から「ノンメンバーに代わる名前を考えて欲しい」と言われ、日野は日本代表全体を家に見立て、家の柱は表から見えるものでは無いが、柱がないと家は倒れてしまう。見えないところの重要性を「柱」と表現し、監督に提案したところ了承された。

ワールドラグビー男子ランキング

上位30チーム(2025年9月29日時点)
順位 変動* チーム ポイント
1 image image 南アフリカ共和国 091.62
2 image image アイルランド 089.83
3 image image ニュージーランド 089.28
4 image image フランス 087.82
5 image image イングランド 087.64
6 image image アルゼンチン 084.40
7 image image オーストラリア 083.67
8 image image スコットランド 081.57
9 image image フィジー 081.16
10 image image イタリア 077.77
11 image image ジョージア 074.69
12 image image ウェールズ 074.05
13 image image 日本 073.61
14 image image スペイン 069.12
15 image1 image アメリカ合衆国 067.40
16 image1 image サモア 066.94
17 image3 image チリ 066.72
18 image1 image トンガ 066.66
19 image1 image ウルグアイ 066.59
20 image1 image ポルトガル 066.44
21 image image ルーマニア 062.67
22 image image ベルギー 061.20
23 image image 香港 059.98
24 image image カナダ 059.20
25 image image ジンバブエ 058.80
26 image image オランダ 057.01
27 image image ナミビア 056.97
28 image image ブラジル 055.90
29 image image スイス 055.26
30 image image ポーランド 054.06
*前週からの変動
日本のランキングの推移

生のグラフデータを参照/編集してください.

出典: ワールドラグビー
推移グラフの最終更新: 2025年9月29日

毎週月曜の日中(アイルランド時間。日本時間では同日夜)までに ワールドラグビーが発表するデータ にもとづく。ワールドカップ中は毎日ランキングが更新されるが、右表の元データは週1回の更新となる。

ホームでの敗戦(アウェイでの勝利)では、ポイントが大きく動く。また、ワールドカップ時は、通常テストマッチの2倍ポイントが動く。このシステムは2003年10月に日本は18位から始まり、直後に開催のワールドカップ2003で全敗したため20位に落ちた。

日本代表の過去最高ランクは、ワールドカップ2019準々決勝南アフリカ戦の前日、2019年10月19日(土)に記録した6位。翌日、南アフリカに敗れて8位になった。

新型コロナウイルス感染症の世界的流行の2020年は、強豪国が早期にテストマッチを再開したが、日本はこの年まったく試合を行なわず、2020年11月16日付けで10位に落ちた。

2023年7月24日付けで10位から12位へ落ちた。12位サモアにホームで敗戦したため。2016年11月7日付け以来、6年9か月ぶり。8月7日付けで、秩父宮ラグビー場でフィジーに敗れた ため14位に転落。2015年8月31日付け以来約8年ぶり。9月25日付けで、不振ジョージア と入れ替わり、13位に浮上。9月28日にワールドカップ2023プール戦でサモアに勝利し12位となった。

2024年7月13日、ランキング14位のジョージアにホーム(ユアテックスタジアム仙台)で敗れ、2024年7月15日付けで2ランク落ちて14位になった。14位は約1年ぶり。

パシフィックネーションズカップ2024準決勝で13位のサモアに勝利し、2024年9月16日付けで1ランクアップし13位となったが、翌週の決勝戦でフィジーに敗れて9月23日付けで14位。13位サモアが秋遠征を行わずポイントが動かない中、日本はウルグアイに勝利し11月18日付けでサモアと入れ替わり13位に戻った。

2025年7月5日に12位ウェールズに勝利し、日本は12位に浮上。しかし翌週12日にホームでウェールズに敗れ、14位に転落。8月25日付けで13位サモアが14位に転落したため、13位に浮上した。

対戦相手別 テストマッチ勝敗表

1930年から現在までの全テストマッチ(国代表どうしの試合)を対戦相手ごとに集計した。

現在ではテストマッチ扱いにしない対戦相手(XV・Aなどの二軍チーム、学生・U23などの若年チームなどの限定チーム)について、1989年までは日本側だけがテストマッチ扱いにしていた ことに留意されたい。

1989年5月28日のスコットランド戦では、スコットランド代表メンバーのうち、中心選手9名はブリティッシュ・ライオンズのメンバーとしてニュージーランド遠征中で不在だったため、日本との対戦では、代表扱いではないチームとして「スコットランドXV(フィフティーン)」と名乗っていた。しかし日本側ではこれを「スコットランド代表」としてテストマッチ扱いとし、28-24で勝利した。試合後、宿澤広朗監督は胴上げをされ、スポーツ新聞ほかメディアはこれを「金星」として大々的に報道した。日本とスコットランドの双方がテストマッチとして対戦し、日本が勝利するのは、ワールドカップ2019でのことだった。

マオリ・オールブラックス戦は、2008年はパシフィックネーションズカップで行われ、テストマッチとして対戦した。2024年ではキャップ非対象となり、日本は「JAPAN XV」で対戦したのでこの表には含まれない。

黄色背景   は、「ハイパフォーマンスユニオン(旧・ティア1(tier 1))」 の国代表チーム。濃いグレー背景   は、国代表チームではないもの(現在ではほぼテストマッチ扱いにならないもの)。

2025年9月21日フィジー代表戦(PNC2025決勝)までを反映。出典:

テストマッチとして
対戦した相手
試合数 勝率 対戦
最終年
対戦年(太字は日本勝利)
【外部リンク先は 試合詳細】
image アイルランド 12 1 11 0 8.3% 2021 1985, 85, 91, 95, 2000, 05, 05, 17, 17, 19, 21, 21
image アイルランド学生選抜 1 0 1 0 0% 1987 1987
image アメリカ合衆国 26 12 13 1 46.2% 2024 1985, 86, 87, 90, 91, 91, 96, 96, 97, 97, 98, 98, 99, 2000, 03, 03, 08, 08, 11, 13, 14, 15, 15, 19, 24, 25
image アラビアンガルフ 3 3 0 0 100% 2010 2006, 08, 10
image アラブ首長国連邦 3 3 0 0 100% 2013 2011, 12, 13
image アルゼンチン 7 1 6 0 14.3% 2023 1993, 93, 98, 99, 2005, 16, 23
image イタリア 10 2 8 0 20% 2023 1976, 2004, 06, 07, 11, 14, 18, 18, 23, 24
image イングランド 6 0 6 0 0% 2024 1987, 2018, 22, 23, 24, 24
image イングランドXV 7 0 7 0 0% 2003 1971, 71, 79, 79, 86, 2003, 03
image イングランド学生選抜 1 0 1 0 0% 1982 1982
image イングランドU23 2 0 2 0 0% 1976 1973, 76
image オックスフォード大学&ケンブリッジ大学 3 0 3 0 0% 1983 1959, 59, 83
image オックスフォード大学 4 0 4 0 0% 1988 1952, 52, 77, 88
image ケンブリッジ大学 4 1 3 0 25% 1979 1953, 53, 75, 79
image ウェールズ 12 2 10 0 16.7% 2025 1993, 95, 99, 2001, 01, 04, 07, 13, 13, 16, 25, 25
image ウェールズXV 4 0 4 0 0% 1983 1973, 75, 75, 83
image ウェールズクラブ連合 1 0 1 0 0% 1976 1976
image ウルグアイ 6 5 1 0 83.3% 2024 2005, 15, 15, 22, 22, 24
image オーストラリア 6 0 6 0 0% 2021 1975, 75, 87, 2007, 17, 21
image オーストラリアA 4 0 4 0 0% 2008 2003, 03, 07, 08
image オーストラリア学生選抜 6 2 4 0 33.3% 1981 1934, 34, 56, 56, 56, 81
image クイーンズランド州 1 0 1 0 0% 1978 1978
image オーストラリア・コルツ(U23) 2 1 0 1 50% 1972 1972, 72
image オランダ 1 0 1 0 0% 1980 1980
image カザフスタン 5 5 0 0 100% 2012 2008, 09, 10, 11, 12
image カナダ 27 17 8 2 63% 2024 1932, 32, 82, 82, 86, 91, 96, 96, 97, 97, 98, 98, 99, 2000, 01, 04, 05, 07, 09, 09, 11, 13, 14, 15, 16, 24, 25
image ブリティッシュコロンビア州(BC州) 6 2 2 2 33.3% 1976 1930, 59, 59, 63, 70, 76
image 韓国 36 29 6 1 80.6% 2017 1976, 78, 80, 82, 84, 86, 88, 90, 90, 94, 96, 98, 98, 2000, 01, 02, 02, 02, 03, 04, 05, 06, 06, 07, 08, 09, 10, 12, 13, 14, 15, 15, 16, 16, 17, 17
image サモア 19 7 12 0 36.8% 2024 1990, 99, 99, 2000, 01, 06, 07, 08, 09, 10, 10, 11, 12, 14, 15, 19, 23, 23, 24
image ジョージア 7 5 2 0 71.4% 2024 2006, 12, 14, 15, 16, 18, 24
image シンガポール 1 1 0 0 100% 2009 2009
image ジンバブエ 1 1 0 0 100% 1991 1991
image スコットランド 9 1 8 0 11.1% 2021 1991, 2003, 04, 13, 15, 16, 16, 19, 21
image スコットランドXV 4 1 3 0 25% 1989 1976, 77, 86, 89
image スペイン 3 3 0 0 100% 2013 1999, 2005, 13
image スリランカ 3 3 0 0 100% 2014 1974, 2011, 14
image タイ 1 1 0 0 100% 1970 1970
image チャイニーズタイペイ 4 4 0 0 100% 2002 1998, 2001, 02, 02
image チリ 1 1 0 0 100% 2023 2023
image トンガ 20 11 9 0 55% 2023 1990, 95, 95, 99, 2000, 02, 06, 07, 08, 09, 10, 11, 11, 12, 13, 15, 17, 19, 23, 25
image ニュージーランド 6 0 6 0 0% 2024 1995, 2011, 13, 18, 22, 24
image ニュージーランドXV 2 0 2 0 0% 1987 1987, 87
image ジュニア・オールブラックス 5 0 5 0 0% 2009 1968, 74, 2006, 07, 09
image マオリ・オールブラックス 1 0 1 0 0% 2008 2008
image ニュージーランド大学選抜(NZU) 15 2 11 2 13.3% 1982 1936, 36, 67, 67, 68, 70, 70, 70, 74, 74, 76, 80, 82, 82, 82
image ニュージーランド・コルツ(U23) 5 1 4 0 20% 1972 1958, 58, 58, 72, 72
image フィジー 21 4 17 0 19% 2025 1990, 94, 94, 99, 2000, 03, 06, 07, 07, 08, 09, 10, 11, 12, 13, 15, 16, 19, 23, 24, 25
image フィリピン 2 2 0 0 100% 2014 2013, 14
image フランス 7 0 6 1 0% 2024 2003, 11, 17, 22, 22, 22, 24
image フランスXV 7 0 7 0 0% 1985 1973, 78, 80, 84, 84, 85, 85
image ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ 1 0 1 0 0% 2021 2021
image ポルトガル 1 1 0 0 100% 2021 2021
image 香港 29 24 4 1 82.8% 2017 1969, 72, 82, 91, 92, 94, 96, 96, 97, 97, 98, 98, 98, 2005, 06, 07, 08, 09, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 15, 16, 16, 17, 17
image 南アフリカ共和国 3 1 2 0 33.3% 2019 2015, 19, 19
image ルーマニア 6 5 1 0 83.3% 2017 1995, 2004, 05, 12, 14, 17
image ロシア 7 6 1 0 85.7% 2019 2002, 03, 04, 10, 13, 18, 19

大会成績(ワールドカップ、太平洋地区、アジア地区)

ラグビーワールドカップ

回数(開催年) ラウンド 日付 開催地 対戦相手 勝敗 スコア 監督・ヘッドコーチ メンバー
第1回(1987年) 1次リーグ 5月24日 imageブリスベン image アメリカ合衆国 18-21 宮地克実 選手一覧
出場選手
5月30日 imageシドニー image イングランド 7-60
6月3日 imageシドニー image オーストラリア 23-42
第2回(1991年) 1次リーグ 10月5日 imageエディンバラ image スコットランド 9-47 宿澤広朗 選手一覧
出場選手
10月9日 imageダブリン image アイルランド 16-32
10月14日 imageベルファスト image ジンバブエ 52-8
第3回(1995年) 1次リーグ 5月27日 imageブルームフォンテーン image ウェールズ 10-57 小藪修 選手一覧
出場選手
5月31日 imageブルームフォンテーン image アイルランド 28-50
6月4日 imageブルームフォンテーン image ニュージーランド 17-145
第4回(1999年) 1次リーグ 10月3日 imageレクサム image サモア 9-43 平尾誠二 出場選手
10月9日 imageカーディフ image ウェールズ 15-64
10月16日 imageカーディフ image アルゼンチン 12-33
第5回(2003年) 1次リーグ 10月12日 imageタウンズビル image スコットランド 11-32 向井昭吾 出場選手
10月18日 imageタウンズビル image フランス 29-51
10月23日 imageタウンズビル image フィジー 13-41
10月27日 imageゴスフォード image アメリカ合衆国 26-39
第6回(2007年) 1次リーグ 9月8日 imageリヨン image オーストラリア 3-91 ジョン・カーワン 選手一覧
9月12日 imageトゥールーズ image フィジー 31-35
9月20日 imageカーディフ image ウェールズ 18-72
9月25日 imageボルドー image カナダ 12-12
第7回(2011年) 1次リーグ 9月10日 imageオークランド image フランス 21-47 選手一覧
9月16日 imageハミルトン image ニュージーランド 7-83
9月21日 imageファンガレイ image トンガ 18-31
9月27日 imageネーピア image カナダ 23-23
第8回(2015年) 1次リーグ 9月19日 imageブライトン image 南アフリカ共和国 34-32 エディー・ジョーンズ 選手一覧
9月23日 imageグロスター image スコットランド 10-45
10月3日 imageミルトン・キーンズ image サモア 26-5
10月11日 imageグロスター image アメリカ合衆国 28-18
第9回(2019年) 1次リーグ 9月20日 image東京都調布市 image ロシア 30-10 ジェイミー・ジョセフ 選手一覧
9月28日 image静岡県袋井市 image アイルランド 19-12
10月5日 image愛知県豊田市 image サモア 38-19
10月13日 image神奈川県横浜市 image スコットランド 28-21
準々決勝 10月20日 image東京都調布市 image 南アフリカ共和国 3-26
第10回(2023年) 1次リーグ 9月10日 imageトゥールーズ image チリ 42-12 選手一覧
9月17日 imageニース image イングランド 12-34
9月28日 imageトゥールーズ image サモア 28-22
10月8日 imageナント image アルゼンチン 27-39

パシフィックネーションズカップ

環太平洋の国々が、強豪国との格差を縮める目的で設立された。

日本も、かつては適度な難度の国際大会として毎回参加していたが、2016年以降は不参加が多かった。2019年にはワールドカップ2019の前哨戦として参加した。2022年はフランスとのテストマッチ2連戦のため参加していない。

2023年7月~8月、パシフィックネーションズカップ2023は、日本はワールドカップ2023の前哨戦として参加し、フィジー、サモア、トンガとの4か国で開催された。日本代表は、出場する3試合すべてを日本国内(ホーム)で開催したが、2敗したため世界ランキングが10位から14位に大きく落ちた。

2024年から大会フォーマットが刷新され、日本、カナダ、アメリカ、フィジー、サモア、トンガの6か国によるプール戦と順位決定トーナメントを行う。

アジアラグビーチャンピオンシップ

しばしばワールドカップのアジア地区出場権1枠を決める大会となる。そのため、2014年まで日本にとって重要な大会だった。現在の日本代表は、アジア相手で常勝し、ワールドカップでは次回出場権を得る結果を出しているため、2017年を最後に参加していない。

★は、日本が翌年のラグビーワールドカップへの出場権を得られたもの。第1回ワールドカップ1987は、日本を含む招待開催のため、アジア地区予選は行われなかった。

ジャージの変遷

桜のエンブレムと赤白ストライプ

Wikipedia上の図では省略されているが、いずれも、左胸部分に桜のエンブレムが入っている。ファーストジャージの赤白ストライプは伝統的な柄であり、途中2003年から2014年までの大きなデザイン変更期でも、一部に赤白ストライプが使われている。2003年版から、左袖に日の丸(日本国旗)が入る。2015年版から、ショーツの右もも正面にも桜のエンブレムが入る。

1930年にカナダへ初の海外遠征が行われ、日本代表ジャージが作られた。その初戦は9月1日、スタンレー・パーク競技場での全バンクーバー戦で、赤白ストライプの長袖ジャージの左胸には「つぼみ、半開き、全開」の3弁の桜がデザインされていた。ショーツ、ソックスは白だった。現在のような3弁とも全開したデザインは、1952年10月1日花園ラグビー場で行われたオックスフォード大学戦 からである。

カンタベリーが提供

1982年のジャージは、スズキスポーツ製であることが分かっている。

1987年ワールドカップ第1回から第3回(1995年)までは、セプター製だった。

1997年からはカンタベリーが提供。1999年から2023年まで、ワールドカップ開催年の春から夏にかけてリニューアルされた。日本ラグビーフットボール協会では「ファーストジャージ/セカンドジャージ」と呼ぶ が、そのレプリカジャージを一般販売するカンタベリーでは「ホームジャージ/オルタネイトジャージ」という商品名にしている。

1999年版は綿55%、ポリエステル45%と重かったが、2003年版からはポリエステル100%となった。襟(えり)が、2007年版から折り返せないほど小さくなっていき、2015年版から完全に無くなった。

2003年版からの11年間は「赤と黒」が基調となり、上体部分をえんじ色に近い赤で埋め、ストライプは腹または胸に白2本のみの配置で、ショーツとソックスは黒になった。軽量化が進んだが、かなりルーズフィットなデザインだった。2007年版からは上体をぴっちり包むコンプレッション機能が加わり、現在まで継承されている。

2015年版は、ワールドカップ2015開幕68日前の7月12日に発表された。2002年までのストライプ主体の原点回帰になり、ショーツとソックスも白に戻った。ストライプに幅の変化やカーブをつけ、スピード感など錯視効果を持たせている。肩部分に赤を広く配置。ショーツとソックスの背面から側面にかけては、ファーストジャージでは赤い曲線、セカンドジャージでは青い曲線を配置。選手の体型の3Dデータをとり、選手用はFW1列目とそれ以外とで型紙が異なる。4種類の素材を部位ごとに使い分け、耐久性・軽量性・着用感・運動追随性の向上を図った。

2015年版デザインのジャージは、2023年3月の高校日本代表の試合、同8月のU17日本代表の試合 でも使われた

2019年版は、ワールドカップ2019開幕78日前の7月4日に発表された。「兜」をコンセプトに、縁起の良さを表す吉祥文様が全体を覆っている。赤白ストライプ(セカンドジャージは紺と青のストライプ)の間にゴールドを配色した。正面は谷型ストライプで上体を大きく見せ、背面は山型ストライプで背後から追う敵に遠く見せる効果を持たせている。ショーツの背面に赤い直線(セカンドジャージは青い直線)を配置し、2015年版にあったソックスの赤いラインは無くなった。選手用ジャージは、布の強度の違いなどで、FW1列目用、FW2~3列目用、BK用の3種類がある。

2019年版デザインのジャージは、2023年秋も女子日本代表が引き続き使用している。

2023年版は、ワールドカップ2023開幕77日前の6月23日に発表された。柄は、2019年版の兜のコンセプトや吉祥文様などをほぼ継承したが、胴体部分の赤いストライプが細くなり1本増え、2015年版のように水平線の印象を強めた。大きな特徴として、襟なし丸首となり、首周りに沿って赤い線が一本通り丸首を強調、みぞおち部分に「ドラえもんの鈴」のような赤いアクセントがあり胸の赤いストライプとつながっている。また、胸に大きな白いスペースをとって上体の厚みを強調した。肩部分にも白を広く配置し、全体でも白が目立つ配色になった。ワールドカップ2023着用バージョンでは、開催国フランスの伝統的なアヤメの紋章「フルール・ド・リス」が胸の中央に入り、右胸に大会マーク、左胸に桜、首下にカンタベリーのロゴを配置。ワールドカップ以外の試合では、胸の下の赤いライン上に「リポビタンD」、左胸に桜、右胸にカンタベリーのロゴ、背中の白い部分に「TOSHIBA」のロゴが入る。2022年7月にカンタベリーの店頭や試合会場などでファンからポリエステル100%の衣類を1,266枚回収し、選手用にはそのケミカル素材をリサイクル使用した。また、リーグワン選手84人の体型を3Dデジタルデータ化して開発に役立てた。2024年3 月使用の高校日本代表ジャージでもこのデザインが使われたが、「ドラえもんの鈴」のような首のアクセントは無くなった。

2025年版は、1999年以降の男子ワールドカップ開催年以外での、初めての変更となった(女子ワールドカップ開催年でのジャージ変更は初めて)。デザインテーマを「歌舞伎」として、歌舞伎の隈取をモチーフに、力強さと躍動感を表現し、日本のラグビーが末永く日本の文化として栄えていく願いを込めた。ファーストジャージでは、赤と白以外の色は使っていない。胸に白いハート型の面積を大きくとり、肩部分では赤の面積を増やした。背中は、スポンサー名(TOSHIBA)と背番号が入る部分が、白く大きく空けられた。

セカンドジャージの着用機会

ラグビーでは、原則としてホームやアウェイに関係なく、両チームとも第一候補であるファーストジャージを着用する が、相手チームとまぎらわしい場合、話し合いで片方あるいは両方のチームが、第二候補としてのセカンドジャージを着用する。

日本代表の試合では、相手ジャージが赤または白が主体の場合に、セカンドジャージが選択されることが多い。逆に、自国を訪問してくれた相手チームの負担軽減や敬意を表す意味で、ホームチームがセカンドジャージを着るという判断もある。

ワールドカップ2023では、日本代表はプール戦4試合ともファーストジャージで戦うことを大会開幕直前に発表した。

ファーストジャージ

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1960年代–2002
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2003–2006
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2007–2009
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2011–2014
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2015–2018
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2019–2022
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2023–2024
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2025–

セカンドジャージ

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1960年代–2002
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2025–

歴史

黎明期

1899年(明治32年)慶應義塾大学にラグビーが伝えられて 以来、各大学を中心に競技が広まった。その大学OBの活動を元に、1924年(大正13年)に関東ラグビー蹴球協会、1925年(大正14年)に西部ラグビー蹴球協会ができ、1926年(大正15年)11月30日に日本ラグビー蹴球協会(現在の日本ラグビーフットボール協会)が発足した。

1930年 日本代表誕生、初の海外遠征へ

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初の海外遠征を行った日本代表。右端のニッカーボッカーズ姿は、監督の香山蕃(1930年)

初めて日本代表が編成されたのは1930年(昭和5年)8月~10月のカナダ遠征である。

香山蕃が初代監督に就任し、全7戦のうち6戦目、9月24日に行われたブリティッシュコロンビア州代表戦 (カナダBC戦)が初のテストマッチ認定試合となり、双方1トライずつで3-3の引き分け(当時のトライは3点)となった。この試合には、後に映画俳優となる藤井貢も出場した。日本代表は、この海外遠征で6勝1分の成績を残した。

国内での初テストマッチは、1932年(昭和7年)1月31日のカナダ代表戦。戦績は日本の2戦2勝だった。この試合から、後に日本代表の国際試合における最多得点記録(33点)を1970年代まで持ち続けた笠原恒彦が加わった。

その後、海外遠征はなく、国内開催になった。1934年(昭和9年)2月にオーストラリア学生代表戦、1936年(昭和11年)2月には北島忠治が監督となりニュージーランド学生代表(NZU)戦 を行い、これが戦前最後のテストマッチとなった。

1952年、テストマッチ再開

1952年(昭和27年)10月、来日したオックスフォード大学と対戦、これが戦後初、16年8か月ぶりのテストマッチとなる。2戦とも得点できず、完敗した。1953年(昭和28年)のケンブリッジ大学戦との2戦でも敗れた。

1956年から1959年までにも、来日チームとのテストマッチを計10回行ない、1分け9敗だった。そして、1960年から1962年まではテストマッチが行われていない。

当時は、年によって日本代表の体制がまちまちだった。1958年に来日したニュージーランドU23代表(コルツ)に対しては、監督のほかにコーチ3人と選手29人のスコッドを構成して準備万端だったが、1959年のオックスフォード・ケンブリッジ大学連合との試合では、日本代表側はその時だけ招集した臨時チームになっていたという。

1962年(昭和37年)に来日したフランス学生選抜と、テストマッチ不認定ながら日本代表チームとして戦ったが、2敗した。

1963年、戦後初の海外遠征

1963年、葛西泰二郎が監督に就任し、戦後初の海外遠征として33年ぶりにカナダ遠征を行った。4月13日にブリティッシュコロンビア州代表戦(カナダBC戦)を33-6で制し、海外遠征テストマッチ初勝利を挙げたほか、通算成績4勝1敗の成績を残した。遠征メンバーの中に、後にプロレスラー グレート草津となる草津正武もいた。

1966年~ 大西ジャパン

1966年早稲田大の監督を務めていた大西鐡之祐が監督就任。

それまではラグビーでも「全日本」という言い方をしていたが、それではただの寄せ集めチームの名前に過ぎないとして、1966年、代表選手を集めたミーティングで、「いいか、君らは日本を代表して戦うんだ!これから『ジャパン』ということにする。」と説いた。当時は「ジャパン」だけで、ラグビー日本代表を意味していた。大学ラグビーで「大西早稲田」「北島明治」など監督名を冠する呼称が一般的だったので、日本代表は「大西ジャパン」と呼ばれた。 現在もヘッドコーチの名前をつけて「〇〇ジャパン」と呼ぶ、そのルーツとなった。

大西は、スター選手の寄せ集め的な日本代表チームの編成に異議を唱え、大胆な選手起用を行った。パスにかかる時間などを計測、客観的な数値を選手に示し、作戦を練った。戦法を統一し、日本人の俊敏さを生かす戦術として「展開・接近・連続」を掲げた。

1か月のニュージーランド遠征

1968年ニュージーランドオーストラリアへ遠征し、1か月間で11試合を行った。6月3日のオールブラックスジュニア戦 と6月8日のNZU(ニュージーランド学生代表)戦 が

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