山口権三郎
山口 権三郎(やまぐち ごんざぶろう、1838年7月29日(天保9年6月9日) - 1902年(明治35年)10月12日)は、日本の政治家、実業家である。
来歴・人物
]越後国刈羽郡横沢村(現在の新潟県長岡市)で大庄屋格の家柄の長男として生まれる。1848年に庄屋見習役が拝命され、1851年に庄屋に昇格し、1855年に庄屋格に昇格し、同時に帯刀も許された。1879年に新潟県会議員に当選し、1880年と1889年に県会議長を務めた。1893年に日本石油の設立に参画。1894年に欧米を視察し、翌年に第一回衆議院選挙に立候補した。第四国立銀行、新潟鉄工所、北越鉄道、長岡銀行などの設立にも携わり、新潟県における事業の振興に貢献した。
家族・親族
]- 長男 : 山口達太郎
- 孫 : 山口誠太郎(達太郎の長男)
- 弟:野本互尊(長岡の実業家)
脚注
]カテゴリ:
- 新潟県議会議員
- 19世紀日本の実業家
- 20世紀日本の実業家
- 日本の鉄道実業家
- ENEOSグループの人物
- 第四北越フィナンシャルグループ
- 北越鉄道
- 長岡市出身の人物
- 越後国の人物
- 1838年生
- 1902年没
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