山口権三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山口 権三郎(やまぐち ごんざぶろう、1838年7月29日(天保9年6月9日) - 1902年(明治35年)10月12日)は、日本の政治家、実業家である。

来歴・人物

]

越後国刈羽郡横沢村(現在の新潟県長岡市)で大庄屋格の家柄の長男として生まれる。1848年に庄屋見習役が拝命され、1851年に庄屋に昇格し、1855年に庄屋格に昇格し、同時に帯刀も許された。1879年に新潟県会議員に当選し、1880年1889年に県会議長を務めた。1893年に日本石油の設立に参画。1894年に欧米を視察し、翌年に第一回衆議院選挙に立候補した。第四国立銀行、新潟鉄工所、北越鉄道、長岡銀行などの設立にも携わり、新潟県における事業の振興に貢献した。

家族・親族

]
  • 長男 : 山口達太郎
  • 孫 : 山口誠太郎(達太郎の長男)
  • 弟:野本互尊(長岡の実業家)

脚注

]
[脚注の使い方]
  1. ^ 『山口権三郎』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 日本の創業者 p182、p183

ウィキペディア, ウィキ, 本, 書籍, 図書館, 記事, 読む, ダウンロード, 無料, 無料ダウンロード, 携帯電話, スマートフォン, Android, iOS, Apple, PC, ウェブ, コンピュータ, 山口権三郎 に関する情報, 山口権三郎 とは何ですか? 山口権三郎 とはどういう意味ですか?

0 返信

返信を残す

ディスカッションに参加しますか?
自由に投稿してください!

返信を書く

必須項目は*で表示されています *