サッカー日本代表
サッカー日本代表(サッカーにほんだいひょう、サッカーにっぽんだいひょう)は、日本サッカー協会(JFA)によって編成される日本のサッカーのナショナルチーム。「A代表」や「フル代表」とも呼ばれる。愛称はSAMURAI BLUE(サムライブルー)。
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国または地域 | | |||
協会 | 日本サッカー協会 | |||
FIFAコード | JPN | |||
愛称 | SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー) | |||
監督 | | |||
キャプテン | 遠藤航 | |||
最多出場選手 | 遠藤保仁(152試合) | |||
最多得点選手 | 釜本邦茂(75得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
![]() (東京, 1917年5月9日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
(東京, 1967年9月27日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
(東京, 1917年5月10日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 8回(初出場は1998) | |||
最高成績 | ベスト16 (2002, 2010, 2018, 2022) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 11回 | |||
最高成績 | 優勝 (1992, 2000, 2004, 2011) | |||
2018年7月より森保一が監督を務めている。FIFAワールドカップには7度出場しており、最高成績はベスト16。ノックアウトステージ進出回数は4回でアジア勢最多。AFCアジアカップでは最多となる通算4度の優勝を果たしている。
概要と特徴
チームカラー
現在は基本色として青および濃紺を使用している。青は「日本の国土を象徴する海と空の青」を表すとされているが、これは、後付の説明で採用時の正確な理由は日本サッカー協会に資料が現存せず、不明のままである(日本サッカー協会公式見解)。
日本代表にとって初の国際試合となった1917年の極東選手権競技大会サッカー競技では、東京高等師範学校(現:筑波大学)が日本代表として出場したため、東京高等師範学校ユニホームである海老茶色のシャツ(黒のパンツ、白の鉢巻)をそのまま使用した。1930年の極東選手権の日本代表に大半の選手を送り込んだ東京帝国大学は淡青(ライトブルー)のシャツであった。1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技に出場した早稲田大学主体の選抜チームの日本代表は1930年の極東選手権の代表チームと同じ淡青のシャツを採用し、それ以降もチームカラーとして青が定着することになった。
1964年東京オリンピックのサッカー競技では、上下共に白、1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技では白のシャツに紺のパンツとなり、1970年代以降は白と青が交互に基調とされるようになった。1988年に日本代表監督に就任した横山謙三の意向により、日本代表のユニフォームは日本の旗「日の丸」の色である赤に同年変更され、胸には従来あった日の丸(1980年代半ばからは右下に青字の「J.F.A.」の文字が入る)ではなく三本足の八咫烏(やたがらす)が付けられるようになった(ユニフォームの胸の八咫烏のエンブレムは現在も続けて採用されている)。横山が監督を更迭されると、1992年に青を基調としたユニフォームに戻され現在も続いている。
愛称
2005年10月、日本サッカー協会は5つの候補の中から一般投票を行い、2006年1月27日に他の候補に2倍以上の得票数を獲得した「SAMURAI BLUE 2006」を2006年ワールドカップに向けた愛称にすることが発表された。2009年10月19日には「SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー)」を公式の愛称とすると定められた。
マスメディアでは、横山が代表監督となった際に「横山ジャパン」という呼称が使われるようになり、以降「監督名+ジャパン」という呼称が用いられている[要出典]。フィリップ・トルシエの代表監督時代は、「トルシエ・ニッポン」という呼称も使用されていた。これについてセルジオ越後は「代表チームは国民の代表であって、監督のものではない。だから、僕が監督だったら何があってもセルジオジャパンとは呼ばせない」と自著で述べている。
海外メディアでは「ライジング・サン」や「ブルー・サムライ」、「ブルーズ」という愛称もある。
マスコット
三本足のカラスである八咫烏をモチーフにした「カラッペ」と「カララ」がマスコットキャラクター。デザインは、松下進が行った。チームユニフォームのデザインが変更される度に、2匹のユニフォームもそれに合わせて手直しされている。
日本代表グッズ
日本サッカー協会は、1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技(「ベルリンの奇跡」の大会)へ日本代表を派遣する費用のうち、日本サッカー協会から支給される旅費以外の経費3万円を調達するため、浴衣地や手拭の販売など積極的に募金活動をした。これを端緒にのちの「日本代表グッズ」へつながり、現在はレプリカユニフォームやタオルマフラーなどが販売されている。
FIFAランキング
発表日 | 順位 | アジア内順位 | |
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現在 | 2025年9月18日 | 19位 | 1位 |
最高 | 2011年4月13日 | 13位 | 1位 |
最低 | 2000年2月16日 | 62位 | 7位 |
現行の算出方法が適用された1999年以降の順位。
プレースタイル
最初期の日本のプレースタイルであったショートパス戦法は1920年(大正9年)頃から日本国内で指導し、1923年(大正12年)8月には『How to play association football』という日本語版の指導書を出版したチョウ・ディンによりもたらされた。後にテクニカルなブラジルスタイルを模倣するようになった。
1960年代から1970年代の代表チームのFWであった釜本邦茂以降はシュート・得点能力に優れるFWの選手が存在せず、ゴール前での絶好のシュートチャンスを決めきれないという特徴がある。この特徴はしばしば「決定力不足」と形容される。
悪質なファウルなどが少なく、世代別代表も含め国際大会ではフェアプレー賞を多く受賞している。FIFAワールドカップにおいては、初出場以来連続全25試合でレッドカードが0という歴代最多連続記録を持っており、FIFAも公式HP内で紹介している(2022年カタールワールドカップ決勝トーナメント1回戦クロアチア戦終了時現在。FIFAワールドカップにおける記録も参照)。
また初出場が1998年と比較的新興チームであるものの、7大会連続出場のうち4回決勝トーナメントに勝ち進んでおり、近年は比較的安定した成績を見せている。また、初出場から7大会連続出場は、全ての大会に出場しているブラジルに次ぐ歴代2位の記録となっている。
ユニフォーム
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歴代ユニフォーム
ファーストユニフォーム
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1930 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1936 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1950-75 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1979-80 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1980-83 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1982–83 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1984-85 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1985 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1983-86 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2001 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2002-03 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2004-05 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2005-07 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2008-09 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2009-11 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2012-13 |
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セカンドユニフォーム
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サプライヤー・ブランド
歴代サプライヤー、ブランドは以下の通り。
- 1992: プーマ
- 1992-1996: アディダス
- 1996-1999: アシックス
- 1999-2024: アディダス
- 2024: Y-3(アディダスと山本耀司のコラボブランド)
日本代表監督
プロ化前
ハンス・オフトより前の歴代日本代表監督は、アマチュア全国リーグJSLからの出向だったので、その給料は所属企業が全て支払っており、JFAが日本代表海外遠征費を捻出できず、旅行代理店に手形で支払うこともあったほど長らく財政難だったこともあり、JFAからは給料も手当も受け取っていなかった。従って、JFAは日本代表監督候補者に就任する前に「日本代表監督を辞めた後、企業に戻れる確約を得てから就任するよう」求めていた。JFAに選手待遇改善要求を行い、実現させた(後述)森孝慈ら日本代表コーチ陣に対しては、日本体育協会からコーチング料月額数十万円が支払われたが、JFAからの報酬は一切無かった。因みに、デットマール・クラマーのJFAでの公式の肩書は顧問(アドバイザー)であり、西ドイツサッカー連盟(現ドイツサッカー連盟)から給料が支払われ、JFAからの報酬は原則無かった。
プロ化後
初のプロ監督で、初の外国人日本代表監督(注:クラマーは顧問)のハンス・オフトの年俸は約7000万円であった。オフト監督はドーハの悲劇後、辞任した。ドーハの悲劇後、ファルカンが日本代表監督に年俸約1億2000万円で就任した。ファルカンの解任後、日本代表監督に就任した加茂周の年俸は約7000万円だった。加茂監督は1998年仏W杯アジア予選途中で解任され、岡田武史(第1期1997-98)が年俸約5000万円で日本代表監督に就任し1998年仏W杯まで指揮した。
1998 FIFAワールドカップ後、日本代表監督に就任し日韓W杯まで指揮を執ったフィリップ・トルシエの年俸は約9000万円で、日本代表初のW杯ベスト16(=決勝トーナメント進出)の快挙を成し遂げた。日韓W杯後、2006年ドイツW杯まで指揮したジーコの年俸は約2億2000万円だった。
2006年ドイツW杯後、日本代表監督に就任したイビチャ・オシムの年俸は約9000万円だった。しかし、オシムが2007年11月16日に脳梗塞で倒れたため(後に回復)退任し、急遽岡田(第2期2007-10)が年俸約8000万円で二度目の日本代表監督に就任、2010年南アフリカW杯まで指揮し日本代表二度目のW杯ベスト16(=決勝トーナメント進出)の成績を収めた。
2010年南アフリカW杯後、アルベルト・ザッケローニが年俸約2億5000万円で日本代表の監督に就任し、2014年ブラジルW杯まで指揮を執った。ブラジルW杯後、ハビエル・アギーレが年俸約2億円で日本代表監督に就任したが、スペインのクラブ監督時代の八百長疑惑により2015年2月3日契約解除となった。同年3月12日、ヴァイッド・ハリルホジッチが年俸200万ドル(約2億7000万円)で日本代表監督に就任した。ハリルホジッチは、2018年ロシアW杯まで指揮する予定であったが2018年4月7日に解任され、同年4月9日に西野朗JFA前技術委員長が日本代表監督に年俸約1億2500万円 で就任した(同年4月7日までに西野はJFA理事、JFA技術委員長、Jリーグの理事を辞任)。任期はロシアW杯後の7月31日まで で、ロシアW杯ベスト16の成績を残した。任期満了で退任する。在任期間はわずか3カ月23日(114日)間で、日本代表選手との帯同期間は5月21日の合宿から7月5日の帰国会見までのわずか46日間であった。なお、U-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督の森保一は西野の日本代表監督就任に伴い、日本五輪代表監督を兼任したままロシアW杯まで日本代表コーチを務めていた。
2018年7月26日、2020年東京五輪に出場するU-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督の森保が、日本五輪代表監督を兼任したままロシアW杯日本代表コーチから昇格する形で日本代表監督に年俸約1億5000万円 で4年契約で就任した(なお、東京五輪男子代表監督就任時の年俸は4800万円だった)。日本A代表監督と日本五輪代表監督を兼任するのは、トルシエ以来である。初の外国人日本代表監督のオフト以降では、W杯後の新日本代表発足時に日本人監督が就くのは初めてである。
その後、森保はAFCアジアカップ2019で準優勝、2022年カタールW杯では通算4度目となるベスト16に導いた。2022年12月28日、JFAは森保の続投を発表した。契約期間は2026年北中米W杯まで。W杯本大会で指揮を執った監督が続投するのは日本代表史上初である。
歴代監督の一覧
- :代行監督
- 試合数および成績は日本サッカー協会が認めた国際Aマッチのみをカウントしており、試合数が0の監督がいるのは指揮した試合がすべて国際Aマッチ以外の試合だったためである
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2025年10月14日現在
名前 | 国籍 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 期間 | 主な大会 |
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(不明) | (不明) | 0 | 0 | 0 | 0 | 1917年 | 1917FEG |
佐々木等 | ![]() | 0 | 0 | 0 | 0 | 1921年 | 1921FEG |
西田満寿次郎 | ![]() | 2 | 0 | 0 | 2 | 1923年 | 1923FEG |
山田午郎 | ![]() | 2 | 0 | 0 | 2 | 1925年 | 1925FEG |
(不明) | (不明) | 2 | 1 | 0 | 1 | 1927年 | 1927FEG |
土橋 | (不明) | 0 | 0 | 0 | 0 | 1927年 | - |
鈴木重義 | ![]() | 2 | 1 | 1 | 0 | 1930年 | 1930FEG |
竹腰重丸 | ![]() | 3 | 1 | 0 | 2 | 1934年 | 1934FEG |
鈴木重義 | ![]() | 2 | 1 | 0 | 1 | 1936年 | 1936OG |
竹腰重丸 | ![]() | 1 | 1 | 0 | 0 | 1938年 - 1940年 | - |
工藤孝一 | ![]() | 0 | 0 | 0 | 0 | 1942年 | - |
二宮洋一 | ![]() | 3 | 1 | 1 | 1 | 1951年 | 1951AG |
竹腰重丸 | ![]() | 12 | 2 | 4 | 6 | 1951年 - 1956年 | 1954WC予、1954AG、1956OG予、1956OG |
高橋英辰 | ![]() | 0 | 0 | 0 | 0 | 1957年 | - |
川本泰三 | ![]() | 2 | 0 | 0 | 2 | 1958年 | 1958AG |
竹腰重丸 | ![]() | 12 | 4 | 2 | 6 | 1958年 - 1959年 | 1960OG予 |
高橋英辰 | ![]() | 14 | 3 | 2 | 9 | 1960年 - 1962年 | 1962WC予、1962AG |
クラマー | ![]() | 1 | 0 | 0 | 1 | 1960年 | 1962WC予 |
長沼健 | ![]() | 31 | 18 | 7 | 6 | 1962年 - 1969年 | 1964OG、1966AG、1968OG予、1968OG、1970WC予 |
岡野俊一郎 | ![]() | 0 | 0 | 0 | 0 | 1969年 | - |
岡野俊一郎 | ![]() | 19 | 11 | 2 | 6 | 1970年 - 1971年 | 1970AG、1972OG予 |
長沼健 | ![]() | 42 | 16 | 6 | 20 | 1972年 - 1976年 | 1974WC予、1974AG、1976AC予、1976OG予 |
二宮寛 | ![]() | 27 | 6 | 6 | 15 | 1976年 - 1978年 | 1978WC予、1978AG |
下村幸男 | ![]() | 14 | 8 | 4 | 2 | 1979年 - 1980年 | 1980OG予 |
渡辺正 | ![]() | 3 | 2 | 0 | 1 | 1980年 | - |
川淵三郎 | ![]() | 10 | 3 | 2 | 5 | 1980年 - 1981年 | 1982WC予 |
森孝慈 | ![]() | 43 | 22 | 5 | 16 | 1981年 - 1985年 | 1982AG、1984OG予、1986WC予 |
石井義信 | ![]() | 17 | 11 | 2 | 4 | 1986年 - 1987年 | 1986AG、1988OG予 |
横山謙三 | ![]() | 24 | 5 | 7 | 12 | 1988年 - 1992年 | 1990AG、1990WC予 |
オフト | ![]() | 27 | 16 | 7 | 4 | 1992年 - 1993年 | 1992AC、1994WC予 |
ファルカン | ![]() | 9 | 3 | 4 | 2 | 1994年 | 1994AG |
加茂周 | ![]() | 46 | 23 | 10 | 13 | 1994年 - 1997年 | 1995IC、1996AC、1998WC予 |
岡田武史 | ![]() | 15 | 5 | 4 | 6 | 1997年 - 1998年 | 1998WC予、1998WC |
トルシエ | ![]() | 50 | 23 | 16 | 11 | 1998年 - 2002年 | 1999CA、2000AC予、2000AC、2001CC、2002WC |
ジーコ | ![]() | 71 | 37 | 16 | 18 | 2002年 - 2006年 | 2003CC、2003EAC、2004AC、2005CC、2005EAC、 2006WC予、2006WC、2007AC予 |
山本昌邦 | ![]() | 1 | 0 | 0 | 1 | 2002年 | - |
オシム | ![]() | 20 | 12 | 5 | 3 | 2006年 - 2007年 | 2007AC予、2007AC |
岡田武史 | ![]() | 49 | 26 | 12 | 11 | 2007年 - 2010年 | 2008EAC、2010WC予、2010EAC、2011AC予、2010WC |
大木武 | ![]() | 1 | 0 | 1 | 0 | 2009年 | 2010WC予 |
原博実 | ![]() | 2 | 2 | 0 | 0 | 2010年 | - |
ザッケローニ | ![]() | 55 | 30 | 12 | 13 | 2010年 - 2014年 | 2011AC、2013CC、2013EAC、2014WC予、2014WC |
アギーレ |
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