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凡例 小笠原 秀政 |
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| 時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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| 生誕 | 永禄12年3月21日(1569年4月7日) |
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| 死没 | 慶長20年5月7日(1615年6月3日) |
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| 改名 | 幸松丸(幼名)→貞政(初名)→秀政 |
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| 戒名 | 両選院殿義捜宗玄大居士 |
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| 墓所 | 長野県松本市埋橋の埋橋剣塚 長野県松本市里山辺の広沢寺 |
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| 官位 | 従五位下、信濃守、上野介、兵部大輔 |
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| 主君 | 豊臣秀吉→徳川家康→秀忠 |
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| 藩 | 下総古河藩主→信濃飯田藩主→松本藩主 |
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| 氏族 | 府中小笠原氏 |
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| 父母 | 父:小笠原貞慶 母:日野輝資の養女(高畠長成の娘) |
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| 妻 | 正室:登久姫(峯高院、松平信康の娘) 側室:新田氏 |
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| 子 | 忠脩、忠真、氏姫(蜂須賀至鎮室)、千代姫(保寿院、細川忠利正室)、忠知、松平重直、忠慶、長俊、溝口政房、原昌行 |
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小笠原 秀政(おがさわら ひでまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。信濃守護小笠原氏の末裔。下総古河藩主、信濃飯田藩主を経て、信濃松本藩主となる。小笠原宗家初代。
生涯
] 永禄12年(1569年)3月21日、小笠原貞慶の長男として山城国宇治田原で生まれた。この頃の小笠原氏は武田信玄に信濃国を追われて流浪していたため、このような場所で生まれたものと思われる。天正10年(1582年)6月の本能寺の変で織田信長が死去すると、父の貞慶は徳川家康の家臣となるため、長男の貞政を人質として差し出し、貞政は石川数正に預けられた。
天正13年(1585年)、石川数正が貞政を引き連れて豊臣秀吉のもとへ出奔すると、貞慶も秀吉に仕えざるを得なくなった。貞政は秀吉より偏諱を与えられ、秀政と名乗った。天正17年(1589年)1月、父から家督を譲られて小笠原家の当主となった。8月には秀吉の仲介で家康と和睦し、家康の孫娘の登久姫(信康の娘)を娶ることを許された。
天正18年(1590年)、小田原征伐で軍功を挙げた。しかし父が秀吉の怒りを買って改易されると、父と共に再び家康に仕え、家康から下総国古河に3万石を与えられた。
文禄4年(1595年)3月20日、従五位下・上野介に任じられ、豊臣姓を与えられた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍につき宇都宮城守備に功を挙げ、翌年(1601年)に信濃国飯田5万石に加増移封された。慶長12年(1607年)、出家して家督を長男の忠脩に譲った。慶長18年(1613年)に父祖の地である信濃国松本8万石に加増移封された。
慶長20年(1615年)の大坂冬の陣の際は忠脩が小笠原軍を率いて出陣し、秀政は松本城の留守居であった。大坂夏の陣には秀政が参陣し忠脩が留守居を勤める予定であったが、忠脩は勝手に国元を出て従軍した。これは重大な軍令違反に相当するが、家康はこれを許したため、小笠原父子の軍は隣藩の諏訪忠恒らと共に榊原康勝軍に従って参戦した。しかし天王寺口の戦いで本多忠朝を救援した際、大坂方の猛攻を受けて忠脩は戦死し、秀政も瀕死の重傷を負って戦場を離脱するが、間もなく戦傷により死去したとされる。享年47。この激戦において本多忠朝も戦死し、榊原康勝も持病が悪化するのを構わず踏みとどまって戦い、それが原因で戦後すぐに病死している。
跡を次男の忠真が継いだ。なお、このときの秀政父子の戦死が、後世の小笠原家が改易の危機に見舞われた際、常に「父祖の勲功」として救われる一因を成した。
逸話
] - 死ぬ前に、家康に対して「信濃は……」と言い残したと伝わる。続きは不明。後継者に関するものだと思われる。
- 織田信孝と同じ「弌剣平天下」の印判を用いていた。
脚注
] 注釈
] [脚注の使い方]
- ^ 貞慶が秀吉と内通したために、数正も秀吉のもとへ出奔せざるを得なくなったとする柴裕之の説もある。 しかし『三河物語』や『松平記』からは数正が天正12年春の時点ですでに秀吉に籠絡されつつあったのがわかり、やはり数正の出奔が貞慶の徳川氏離反の直接の原因と考えられる。
- ^ 毛利勝永隊、毛利隊を追随してきた木村宗明らなど諸説ある。
- ^ 大坂夏の陣のときに死去したのは家康で、その後の1年間は秀政が家康の影武者として存命を偽装したという説がある。徳川家康の影武者説#その他の影武者説を参照。
出典
] - ^ 柴裕之「石川康輝(数正)出奔の政治背景」『戦国史研究』60号、2010年。 /所収:『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』岩田書院、2014年。ISBN 978-4-87294-884-4。
- ^ 村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例」『駒沢史学』80号、2013年、120頁。
- ^ 『成就院古文書』。※慶長寅が1641年と書いてあるが、1614年の誤り。
参考文献
] - 今井尭「小笠原系図」『日本史総覧』 3(中世 2)、新人物往来社、1984年。 NCID BN00172373。
![image]() 府中小笠原氏第19代当主(1589年 - 1607年) |
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| 平安末〜鎌倉時代 | 長清 - 長経 - 長忠 - 長政 - 長氏 - 宗長 |
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| 南北朝〜安土桃山時代 | 貞宗 - 政長 - 長基 - 長将 - 長秀 - 持長 - 清宗 - 長朝 - 貞朝 - 長棟 - 長時 - 貞慶 |
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| 江戸時代 | 秀政 - 忠脩 - 忠真 - 忠雄 - 忠基 - 忠総 - 忠苗 - 忠固 - 忠徴 - 忠嘉 - 忠幹 - 忠忱 |
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| 明治時代以降 | |
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| 松尾小笠原家 | 光康 - 家長 - 定基 - 貞忠 - 信貴 - 信嶺 - 信之 - 政信 - 貞信 - 信辰 - 信成 - 信胤 - 信房 - 長教 - 長貴 - 長守 - 長育 - 勁一 - 牧四郎 - 長定 |
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小笠原家古河藩藩主 (1590年 - 1601年) |
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| 小笠原家 | |
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| 戸田松平家 | |
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| 小笠原家 | - 小笠原信之1612-1614
- 小笠原政信1614-1619
- 下総関宿藩に転封
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| 奥平家 | - 奥平忠昌1619-1622
- 宇都宮城釣天井事件の影響で、下野宇都宮藩に再封
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| 永井家 | - 永井直勝1622-1625
- 永井尚政1626-1633
- 山城淀藩に転封
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| 土井家 | - 土井利勝1633-1644
- 土井利隆1644-1658
- 土井利重1658-1673
- 土井利久1673-1675
- 土井利益1675-1681
- 志摩鳥羽藩に転封
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| 堀田家 | - 堀田正俊1681-1684
- 堀田正仲1684-1685
- 出羽山形藩に転封
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| 藤井松平家 | - 松平信之1685-1686
- 松平忠之1686-1693
- 忠之が発狂し、改易
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| 大河内松平家 | - 松平信輝1694-1709
- 松平信祝1709-1712
- 三河吉田藩に転封
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| 本多家 | - 本多忠良1712-1751
- 本多忠敞1751-1759
- 石見浜田藩に転封
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| 松井松平家 | |
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| 土井家 | - 土井利里1762-1777
- 土井利見1777
- 土井利厚1777-1822
- 土井利位1822-1848
- 土井利亨1848
- 土井利則1848-1867
- 土井利与1867-1871
- 廃藩置県
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小笠原家信濃飯田藩藩主 (1601年 - 1613年) |
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| 小笠原家 | |
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| 脇坂家 | - 脇坂安元1617-1654
- 脇坂安政1654-1672
- 播磨龍野藩に転封
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| 堀家 | - 堀親昌1672-1673
- 堀親貞1673-1685
- 堀親常1686-1697
- 堀親賢1697-1715
- 堀親庸1715-1728
- 堀親蔵1728-1746
- 堀親長1746-1779
- 堀親忠1779-1784
- 堀親民1784-1796
- 堀親寚1796-1846
- 堀親義1846-1868
- 堀親広1868-1871
- 廃藩置県
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小笠原家松本藩初代藩主 (1613年 - 1615年) |
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| 石川家 | - 石川数正1590-1592
- 石川康長1592-1613
- 大久保長安事件に連座し、改易
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| 小笠原家 | - 小笠原秀政1613-1615
- 小笠原忠真1615-1617
- 播磨明石藩に転封
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| 戸田松平家 | - 松平康長1617-1633
- 松平庸直1633
- 播磨明石藩に転封
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| 雲州松平家 | |
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| 堀田家 | |
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| 水野家 | - 水野忠清1642-1647
- 水野忠職1647-1668
- 水野忠直1668-1713
- 水野忠周1713-1718
- 水野忠幹1718-1723
- 水野忠恒1723-1725
- 不祥事により改易
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| 戸田松平家 | - 松平光慈1725-1732
- 松平光雄1732-1756
- 松平光徳1756-1759
- 松平光和1759-1774
- 松平光悌1774-1786
- 松平光行1786-1800
- 松平光年1800-1837
- 松平光庸1837-1845
- 松平光則1845-1871
- 廃藩置県
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カテゴリ:
- 戦国武将
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- 1615年没
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