渡辺喜八郎
渡邊 喜八郎(わたなべ きはちろう、1922年2月10日 - 2006年11月26日)は、日本の実業家、馬主。物流業・運輸業を手掛ける東江運輸株式会社の創業者。馬主登録上の表記は渡辺 喜八郎。
わたなべ きはちろう 渡辺 喜八郎 | |
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生誕 | 1922年2月10日 |
死没 | 2006年11月26日(84歳没) |
職業 |
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肩書き |
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子供 |
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経歴
馬主活動

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主として知られた。勝負服の柄は黄、緑一本輪、袖緑三本輪、冠名には「トウコウ」を用いたが、冠名のない所有馬もいる。なお、同じく馬主である長男の隆は、当時は黄、青一本輪、赤袖の柄の勝負服を使用し、冠名も用いなかった。
来歴
- 1968年 - 馬主資格取得。その後初めて所有したイズミトウコウが計7勝を挙げた。
- 1972年 - ノボルトウコウがスプリンターズステークスを制し、重賞初制覇。
- 1974年 - トウコウエルザが優駿牝馬を制し、八大競走初制覇。
主な所有馬
八大競走優勝馬
- トウコウエルザ(1974年優駿牝馬、クイーンステークス、ビクトリアカップ、1975年天皇賞・秋3着)
- プレストウコウ(1977年NHK杯、京都新聞杯、セントライト記念、菊花賞、1978年毎日王冠、天皇賞・秋2着)
重賞競走優勝馬
- ノボルトウコウ(1972年スプリンターズステークス、1974年小倉大賞典、関屋記念、福島記念、1975年七夕賞)
- ホスピタリテイ(1981年青雲賞、1982年セントライト記念、京浜盃、黒潮盃、羽田盃)
- キリノトウコウ(1987年クリスタルカップ)
- アイビートウコウ(1989年ダービー卿チャレンジトロフィー)
- ワカタイショウ(1990年中山大障害・秋)
脚注
注釈
- ^ 現在は青、白襷に変更している。
出典
- ^ 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.701
- ^ a b c d “プレストウコウの馬主、渡辺喜八郎氏が死去”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2006年11月28日). 2023年2月23日閲覧。
- ^ “未来に語り継ぎたい名馬物語(10) レーティング134ポンドは世界的名馬の証 エルコンドルパサーの功績”. 優駿 Official web Site. 今月の立ち読み. 中央競馬ピーアール・センター. 2019年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月31日閲覧。
- ^ “東江運輸”. 東江グループ. 2023年2月23日閲覧。
- ^ a b 江面弘也 (2022年10月30日). “「取材者としては失格」サイレンススズカ“あの悲劇の天皇賞・秋”を現地観戦していた記者が“無くした記憶”「スズカだけのレースではない…」”. Sports Graphic Number Web. 文藝春秋. 2023年2月23日閲覧。
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