アナトリア語派
| アナトリア語派 | |
|---|---|
| 話される地域 | アナトリア半島 |
| 言語系統 | インド・ヨーロッパ語族
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| 下位言語 |
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| ISO 639-5 | ine-ana |
| Glottolog | anat1257 |
![]() アナトリア語派のおおよその地理的分布 | |
アナトリア語派(アナトリアごは、Anatolian languages)とは古代小アジア(アナトリア:現在のトルコ)で話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語群で、すべて死語である。中でもヒッタイト語の資料が多く最もよく研究されている。その周辺で使われた言語もいくつか知られるが、これらについては資料が少ない。
19世紀末から20世紀初頭にかけて発見されるまでは知られておらず、アナトリア諸語はしばしば、インド・ヨーロッパ祖語から最も早く分岐した枝と考えられている。一旦発見されると、ヒッタイト語やルウィ語における喉音子音 ḫ および ḫḫ の存在は、インド・ヨーロッパ祖語の喉音理論を支持する根拠となった。ヒッタイト語の証拠は青銅器時代で途絶えるが、象形文字ルウィ語の文献は新ヒッタイト王国がセム系のアッシリア帝国に征服されるまで存続した。さらにアナトリア諸語のアルファベット碑文も断片的ながら西暦1千年紀初頭まで確認されており、最終的にはギリシア人の植民によるアナトリアのヘレニズム化の結果として消滅した。
起源
]
アナトリア語派は、しばしば、インド・ヨーロッパ祖語から最初に分岐したものと見なされ、これは「インド=ヒッタイト」または「古層の印欧祖語(Archaic PIE)」と呼ばれる段階からである。通常、この語派の分化は紀元前4千年紀半ばに起こったと想定され、その後、紀元前2千年紀初頭にアナトリアへの移住があったとされる。クルガン仮説によれば、初期のアナトリア語話者がアナトリアに到達した経路には2つの可能性がある。すなわち、北からコーカサスを経由する経路、または西からバルカン半島を経由する経路である。後者は、Mallory(1989)、Steiner(1990)、 Anthony (2007)によってやや可能性が高いと考えられている。クエンティン・アトキンソンらによる統計的研究では、ベイズ推定と語彙年代学的指標を用いてインド・ヨーロッパ語族の起源をアナトリアに求めている。しかし、この方法の妥当性と正確性は議論の対象となっており、PIE(印欧祖語)のウルハイマート(原郷)に関しては少数説にとどまっている。
チェルナヴォダー文化(Cernavodă culture)は、スレドニー・ストグ文化とともにアナトリア語派の起源であり、アナトリア語がプロト・インド=アナトリア語から分岐した後、バルカンを通じてアナトリアにもたらされたとする説がある。なお、プロト・インド=アナトリア語はスレドニ・ストグ文化の地域にあったとする言語学者や考古学者もいる。ペトラ・フーデヘブールは、アナトリア語派が紀元前4500年までに北方でPIEから分岐し、紀元前2500~2000年頃までにコーカサスを経由する移住経路を通じてアナトリアに到達したと提唱している。
分類
]Melchert (2012) は以下の分類を提案している:
- アナトリア祖語
- ヒッタイト語
- ルウィ諸語
- ルウィ語
- カリア語
- ミリア語
- リュキア語
- シデ語
- ピシディア語
- パラー語
- リュディア語
Kloekhorst (2022)は、再構成された各段階の推定年代を含む、より詳細な分類を提案している

- アナトリア祖語(前31世紀 頃分離)
- ルウィ-リディア祖語
- ルウィ-パラー祖語
- ルウィ祖語 (c. 前21–前20世紀頃)
- ルウィ祖語 (c. 前18世紀頃)
- 楔形文字ルウィ語 (前16-前15世紀頃)
- 象形文字ルウィ語 (前13-前8世紀頃)
- リュコ-カリア祖語
- カリア-ミリア祖語
- カリア語 (前7-前3世紀頃)
- ミリア語 (前5世紀頃)
- リュキア-シデ祖語
- リュキア語 (前5-前4世紀頃)
- シデ語 (前5-前2世紀頃)
- カリア-ミリア祖語
- ピシディア語 (1-2世紀頃) [unclassified]
- ルウィ祖語 (c. 前18世紀頃)
- パラー祖語
- パラー語 (前16-前15世紀頃)
- ルウィ祖語 (c. 前21–前20世紀頃)
- リディア祖語
- リディア語 (前8-前3世紀頃)
- ルウィ-パラー祖語
- ヒッタイト祖語 (c. 紀元前2100年頃)
- カニシュテ・ヒッタイト語 (c. 前1935–前1710年)
- ハットゥシャ・ヒッタイト語(c. 前1650–前1180年)
- ルウィ-リディア祖語
加えて、近年発見されたカラシュマ語(Kalašma language)もルウィ語の一種であると考えられている。
特徴
]音韻
]アナトリア語派の音韻体系は、インド・ヨーロッパ語族の他の姉妹語派で失われた区別を保持していることで知られる。有名な例として、アナトリア語派では印欧祖語(PIE)の喉音(laryngeals)が保持されており、ヒッタイト語 ḫāran-(比較:古代ギリシャ語 ὄρνῑς、リトアニア語 eręlis、古ノルド語 ǫrn、PIE *h₃éron-)、リュキア語 𐊜𐊒𐊄𐊀 χuga(比較:ラテン語 avus、古プロイセン語 awis、古アイルランド語 ᚐᚃᚔ (avi)、PIE *h₂éwh₂s)などがある。PIE の三系列の後舌音もアナトリア祖語で区別が保たれ、ルウィ語派において異なる反映を示す。例として、ルウィ語では *kʷ > ku-、*k > k-、*ḱ > z- である。 また、印欧祖語における閉鎖音の三重区別(*p, *b, *bʰ)は、アナトリア祖語では強弱(fortis-lenis)の区別に簡略化され、慣習的に /p/ と /b/ として表記される。ヒッタイト語およびルウィ語の楔形文字では、弱い閉鎖音(lentis stop)は単一の無声子音で表され、強い閉鎖音(fortis stop)は二重の無声子音で表され、二重子音として発音されていたことを示す。1千年紀初頭までに、弱い子音はリュディア語、リュキア語、カリア語で摩擦音化したと考えられる。
アナトリア祖語の喉音 *H は、強化・弱化のパターンで閉鎖音と同じ挙動を示し、楔形文字では二重 -ḫḫ- または単独の -ḫ- として現れる。ヒッタイト語における *H の反映は咽頭摩擦音として解釈され、ルウィ語では口蓋垂摩擦音として解釈される(ウガリット語・エジプト語からの借用語や母音への影響から)。リュディア語では喉音は消失したが、リュキア語では 𐊐 (χ)、カリア語では 𐊼 (k) として現れ、いずれも [k] と発音された。また、両唇化口蓋垂音(labiovelars)は、リュキア語 𐊌 (q)、カリア語 𐊴 (q) として唇化された場合に現れる。アナトリア祖語での喉音の実現については、咽頭摩擦音、口蓋垂摩擦音、口蓋垂閉鎖音などが提案されている。
動詞
]アナトリア語派の形態は、他の初期イン・ドヨーロッパ語(IE)諸語に比べてかなり単純である。動詞体系では、時制は現在・未来と過去(preterite)の二つのみ、態は能動態と中受動態の二つのみ、法は直説法と命令法の二つのみが区別され、トカラ語、サンスクリット語、古代ギリシャ語など他の古IE語に見られる接続法や願望法は存在しない。アナトリア諸語の動詞は通常、二つの活用に分かれる:mi 活用と ḫi 活用であり、これはヒッタイト語の一人称単数現在直説法の接尾辞に基づく名称である。mi 活用はアナトリア域外にも明確な同族語があるが、ḫi 活用は特徴的であり、PIE の重複形または強意形に由来すると考えられている。
性
]アナトリア語派の性(gender)体系は、有生(animate)と無生(inanimate、または共通名詞と中性名詞)の二分類に基づく。アナトリア祖語は、PIE から独立した女性性の一致クラスを受け継いだとはほぼ考えられない。この二性制は、PIE の a-語幹と o-語幹の音声的融合に続く男性性と女性性の融合として説明されることがある。しかし、リュキア語およアナトリア祖語において接尾辞 *-eh2 を持つ名詞群が確認されたことにより、PIE に女性性が存在したかどうかには疑問が生じている。非アナトリア系のインド・ヨーロッパ語では、女性性は通常 -ā で示されるが、これはアナトリア諸語で抽象名詞や集合名詞に見られる派生接尾辞 *-h2 と関連している可能性がある。所有接尾辞 *-ih2 はアナトリア諸語ではまれであるが、トカラ語では女性形標識として完全に生産的である。これらのことから、アナトリア諸語の性体系は IE における原初のものであり、トカラ語およびその他のコアIE語に見られる男女中性の三分類は、男性・女性を持つ人間をより正確に指示するために、主題名詞のクラス内で性別に基づく分割が行われた結果として生じた可能性がある。
格
]アナトリア祖語は、インド・ヨーロッパ祖語の名詞格体系を保持しており、主格、呼格、対格、具格、与格、属格、処格を含んでいた。また、新たに向格(allative case)を創出した。名詞は単数・複数を区別するほか、古ヒッタイト語では非無生名詞に対して集合複数(collective plural)が存在し、自然界の対となるものには残存的な二数(dual)があった。アナトリア語派には性に基づく分裂能格(split-ergative)体系も存在し、他動詞の主語である無生名詞は与格的に標示される。この特徴は、近隣の非インドヨーロッパ語であるフルリ語のような能格体系の影響である可能性がある。
統語
]アナトリア語の基本語順は主語-目的語-動詞(SOV)である。ただし、リュキア語では動詞が通常目的語の前に置かれる。節頭に置かれる小辞(clause-initial particles)はアナトリア諸語の統語の際立った特徴であり、文中では接続詞や最初に強勢のある語が Wackernagelの位置に小辞の連鎖を伴う。傍格代名詞、談話標識、接続詞、場所・法的な小辞は厳密な順序で現れる。小辞の連鎖より前に置かれた語は主題化される。
言語
]以下の一覧は、ロバート・ビークス(2010)によるアナトリア語族の系統図の要約に従い、比較的平坦な形でアナトリア語を示したものである。このモデルでは、明確な下位グループとしてルウィ語派(Luwic languages)のみを認めている。ただし、分岐順序の修正や更新は継続中である。第二のバージョンでは、ヒッタイト語を西アナトリア語群と対置させ、後者をリュディア語、パラー語、ルウィ語群(ルウィ語派ではなく)に分ける。
ヒッタイト語
]
ヒッタイト語(nešili)は、紀元前1650–1200年頃に存在したヒッタイト帝国の言語であり、この期間中、ほぼアナトリア全域を支配していた。ヒッタイト語の最古の資料は、紀元前19世紀のキュルテペ文書であり、カネシュ港(kârum kaneš)にあったアッシリアの交易植民地内で使用されたセム語系アッカド語の記録に含まれる。これらの記録は、アッカド語(古アッシリア方言)に借用されたヒッタイト語の人名や語彙を伝えている。他にも、東南アナトリアの他のアッシリア商港(Karum)でも同様の例が見られる。都市名ネーシャ(Neša)から、ヒッタイト語の自称「Nešili」が派生している。この地域がヒッタイト人ではなくアッシリア人の支配下にあったこと、都市名がそのまま言語名になったことは、ヒッタイト語が中央アナトリアで既に影響力、あるいは支配力を持っていたことを示唆している。
ヒッタイト語の主要な文書は、約3万点の粘土板断片から成り、そのうち一部しか研究されていない。これらは、現在のトルコ・ボアズカレ付近(旧称ボアズキョイ)の尾根上にあった王都ハットゥシャ(Hattuša)の記録である。記録からは、先住民である孤立した言語を話すハッティ人に対し、アナトリア語系話者が徐々に権力を握り、最終的に王権がアナトリア人の特権となった過程がうかがえる。その後、ハッティ人の消息はほとんど伝わらないが、ヒッタイト人は名称を保持した。記録には儀式、医療文書、書簡、法律およびその他の公文書が含まれ、文明の多くの側面を詳細に知ることを可能にしている。
これらの記録の大部分は紀元前13世紀(後期青銅器時代)に遡る。使用された文字は楔形文字で、近隣のアッシリアの文字体系を大きく借用している。楔形文字は音節文字であり、このことに加えてアッカド語やシュメール語の頻繁な使用、さらに語彙項目を表す表意文字(単語全体を示す記号)の使用により、原形の正確な形には不確実性が伴う。ただし、V(母音)、CV、VC、CVC 形式の音節を表す音節文字も存在する。
ヒッタイト語は、古期、中期、新期(または新ヒッタイト期)に区分される。日付はやや変動するが、歴史時代と文字体系の変化のおおよその一致に基づいている。すなわち、古王国と古文字、中王国と中文字、新王国と新文字である。Fortsonは、関連王の在位に基づき、それぞれ紀元前1570–1450年、1450–1380年、1350–1200年と示している。これは言語年代学(glottochronologic)によるものではない。
すべての楔形文字ヒッタイト語は、紀元前13世紀末の青銅器時代の崩壊期に終焉を迎えた。ハットゥシャの破壊と帝国の滅亡により、帝国の多くは前世紀に中アッシリア帝国に併合され、首都およびその周辺は紀元前1200年にフリュギア人により略奪された。
パラー語
]パラー語は、アナトリア北中部のパラー(後のパフラゴニア)地域で話され、紀元前13世紀頃に絶滅した。古ヒッタイト語の文献に引用された祈祷文の断片からのみ知られている。この言語は、ヒッタイト人が防げなかったカスカ族の侵入による文化の置き換え(人口そのものではない可能性もある)の結果として、消滅した。
| ルウィ語 | |
|---|---|
| Luvic, Luwoid | |
| 民族 | アナトリア人 |
| 話される地域 | Ancient アナトリア |
| 言語系統 | インド・ヨーロッパ語族
|
原型 | 印欧祖語
|
| 下位言語 |
|
ルウィ諸語(Luwic branch)
]「Luwic(ルウィ諸語)」という用語は、クレイグ・メルチャートによって、他のアナトリア語族よりも互いに近縁であると考えられるいくつかの言語をまとめる枝のノードとして提案された。これは新語ではなく、20世紀初頭には「Luvic(ルウィ語)」という語がアナトリア語族全体、あるいはヒッタイト文献でルウィ語と識別された言語を指す意味で使われていた。名称はヒッタイト語の luwili(𒇻𒌑𒄿𒇷)に由来する。以前の Luvic の用法は廃れ、代わりに Luvian(ルウィ諸語)が一般的になった。その一方で、現在 Luvian または Luwic と呼ばれるほとんどの言語は、20世紀後半までその存在が知られていなかった。将来的にさらに断片的な記録が発見される可能性もある。
英語では Luvian や Luvic には他の意味もあるため、現在は Luwian および Luwic が好まれる。Luwic という用語が Luwian とその最も近縁の言語に提案される以前、学者たちは「Luwian」を「Luwic 言語」という意味で用いていた。たとえば、シルヴィア・ルラギの Luwian 枝は、彼女が「Luwian group(ルウィアン群)」と呼ぶ根言語から始まり、これは論理的に共通ルウィ語(Common Luwian)またはルウィ祖語(Proto-Luwian)に相当する。彼女によれば、その三つの派生はミリア語(Milyan)、ルウィ祖語(Proto-Luwian)、リュキア語(Lycian)であり、ルウィ祖語はさらに楔形ルウィ語(Cuneiform Luwian)と象形文字ルウィ語(Hieroglyphic Luwian)に分岐する。
ルウィ語
]
ルウィ語は、紀元前2千年紀以降の千年以上にわたり、楔形文字とアナトリア象形文字の二つの異なる文字体系で記録されている。以前の学術研究では、この二つのコーパスを別個の言語実体として扱う傾向があったが、現在では文字の違いとルウィ語内部の方言差を区別して考えるのが一般的である。そのため、現在ではキッズワトナ・ルウィ語(Kizzuwatna Luwian、楔形文字で記録)、帝国期ルウィ語(Empire Luwian、楔形文字・象形文字両方で記録)、鉄器時代/後期ルウィ語(象形文字で記録)など、さらに少数のルウィ方言が存在するが、記録は少ない。
楔形文字のコーパス(MelchertのCLuwian)は、主にボアズカレのヒッタイト文書中の注釈や短文に記録されており、約3万枚の粘土板のうち約200片にCLuwianの文章が含まれる。ほとんどの粘土板は中期・新文字に属するが、旧文字の断片も確認されている。Benjamin Fortsonは、「ルウィ語はヒッタイト人が採用した儀礼で使用されていた」と仮説を立てている。多くの粘土板にはキッズワトナ発の儀礼に関連するルウィ語の文章が含まれている。一方、ヒッタイト文書中のルウィ語注釈(外国語)は、帝国期ルウィ語を反映する異なる方言を示している場合がある。該当粘土板のヒッタイト語には干渉の特徴が見られ、ルウィ語話者によって記録された可能性が示唆される。
象形文字のコーパス(MelchertのHLuwian)は、帝国期ルウィ語およびその後の鉄器時代ルウィ語を反映してアナトリア象形文字で記録される。HLuwian文書の一部はボアズカレで発見され、かつて「象形文字ヒッタイト」と考えられていた。CLuwianとHLuwianの出土状況は本質的に異なる。Annick Payneは「二重文字印章を除き、二つの文字体系が同時に使用されたことはない」と述べている。
HLuwian文書は、粘土・貝殻・陶片・陶器・金属・自然岩面・建築石材・彫刻(主にライオンの彫刻)に記されており、浮彫や凹彫で彫刻または彩色される。印章や封印も存在する。封印とは、印章に彫刻または鋳造された象形文字の凹凸印象を軟らかい物質(封蝋など)に転写するものである。HLuwianの文字体系には約500の記号があり、そのうち225は表意文字(ロゴグラム)、残りは限定符や音節文字で、音節V、CV、稀にCVCV(V=母音、C=子音)を表す。
HLuwian文書は紀元前14世紀には印章・封印上の名称や称号として現れ、長文は紀元前13世紀に初めて出現する。Payneは青銅器時代のHLuwianを帝国期ルウィ語と呼ぶ。ヒッタイト語およびCLuwianは紀元前1200年に青銅器時代末期の崩壊で途絶したが、シリア南部における一部の新ヒッタイト国家の文明はHLuwianを使用して中断なく続き、Payneはこれを鉄器時代ルウィ語(紀元前1000–700年)と呼ぶ。これらの自治的「新ヒッタイト」国家はもはやハットゥサに報告する必要がなかったと考えられる。HLuwian文書は、北シリアおよび南アナトリアの10都市国家(キリキア、チャルカメシュ、テル・アフマル、マラス、マラティヤ、コンマゲネ、アムク、アレッポ、ハマ、タバル)から発見されている。
リュキア語
]
リュキア語(ミリア語が「リュキア語B」と呼ばれる場合、リュキア語は「リュキア語A」と呼ばれる)は、古典期リュキア(アナトリア南西部)で話されていた。約172の碑文で確認されており、主に150の墓碑と32の公的文書に刻まれている。文字体系はリュキア文字で、ギリシャ文字をリュキア人が改変したものである。これらの碑文に加え、リュキア人の名前が刻まれた200枚以上の硬貨も残されている。碑文の中にはリュキア語とギリシャ語の二言語併記のものがあり、ひとつはレトーンの三言語碑文で、リュキア語、ギリシャ語、アラム語で書かれている。最も長いテキストはクサントスのオベリスクで、約250行ある。当初はギリシャ語とリュキア語の二言語碑文と考えられていたが、別の近縁言語、現在「リュキア語B」とされるミリア語の詩節が確認され、結果として三言語碑文となった。硬貨の最古のものは紀元前500年以前のものであるが、文字体系の開発・運用には時間を要したと考えられる。
リュキアの名はホメロスに登場するが、より歴史的にはヒッタイト文書や「海の民」に関するエジプト文書にルッカ(Lukka)として現れ、ルッカ地方に住むとされる。後期青銅器時代のリュキア語テキストは残っていないが、地名からその存続を推定することができる。
リュキアは紀元前4世紀末までに完全にギリシャ化され、その後リュキア語は見られなくなる。Stephen Colvinは、リュキア語やその他の少数確認されたルウィ諸語を「後期ルウィアン(Late Luwian)」と呼ぶこともあるが、実際には遅く始まったわけではない。類似して、Ivo Hajnalは同等のドイツ語表現を用いて、Jungluwischと呼んでいる。
ミリア語
]ミリア語は以前、リュキア語の一変種、「リュキア語B」と考えられていたが、現在は独立した言語として分類されている。
カリア語
]カリア語はカリア地方で話されていた。断片的に確認されており、エジプトのメンフィス(およびエジプトの他地域)のカリア人傭兵や民族的集団の落書き、ギリシャ文献に見られる個人名、カリア本土の20の碑文(うち4つは二言語碑文)、エーゲ海世界の散在する碑文、そして古代の著作家がカリア語と記した語により知られる。碑文は紀元前7世紀に初めて現れる。
シデ語
]
シデ語はシデの都市で話されていた。紀元前5世紀から2世紀にかけてのコイン銘文や二言語碑文から知られている。
ピシディア語
]ピシディア語はピシディアで話されていた。1世紀から2世紀の短い碑文約30点から知られており、リュキア語やシデ語と密接な関係があると考えられている。
カラシュマ語
]カラシュマ語はカラシュマ地域(現在のボル周辺と推定される)で話されていた。この言語はハットゥサで発見された粘土板の碑文1点から知られている。
リュディア語
]リュディア語はリュディアで話されていた。アナトリア語群の中で、リュディア語は独特で問題の多い位置を占める。その理由は、第一に証拠資料が非常に限られていること、第二に他のアナトリア語には見られない特徴がいくつか存在することである。リュディア語は紀元前8世紀末から紀元前7世紀初め頃から紀元前3世紀までの落書きや硬貨銘文で確認されるが、十分な長さの保存状態の良い碑文は、現在ではペルシア支配期の紀元前5~4世紀に限られる。現存するリュディア語の資料は100点強であるが、ほとんどが断片的である。
アルメニア-アナトリア言語接触
]アルメニア語におけるアナトリア語からの借用の可能性は、20世紀初頭から議論されてきた。ルウィ語からの借用とされる語は概ね受け入れられているが、ヒッタイト語からの借用の存在については、年代的・地理的な問題から議論が続いている。
一部の学者は、ヒッタイト語の明確な影響が確認されれば、紀元前2千年紀にアルメニア高原にプロト・アルメニア人が存在したことを示すことになり、ウラルトゥ崩壊後の後期移住説と矛盾すると主張している。ウラルトゥ語に見られる潜在的なアルメニア語借用語も、初期アルメニア人存在の証拠として引用されている。
ヒッタイト文献に登場するḪayaša(紀元前14~13世紀)は、歴史的アルメニアの一部、あるいはアルメニア人の民族名hayに仮に関連付けられることがあるが、この結びつきは議論の余地がある。
少数のヒッタイト語彙がアルメニア語の語彙(例:luzzi- と luc、arziiya- と art)と比較されてきたが、借用の方向性や語源の正当性には不確実性が残る。限られたアナトリア語要素は、アルメニア人がアナトリアを通過する過程で獲得した可能性があるとする学者もいる。
その他の可能性のある言語
記録を残さなかった他のアナトリア語も存在した可能性が提案されている。例えば、アルファベット時代に証拠のないリュカオニア語やイサウリア語の先ギリシャ語などである。これらの地域では、青銅器時代に確認される言語はヒッタイト語、フルリ語、ルウィ語のみである。地域の言語のうち、ミュシア語やフリュギア語はインド・ヨーロッパ語族に属するがアナトリア語ではなく、アナトリア語よりも後にバルカン半島からアナトリアに入ったと考えられている。
消滅
]アナトリアは、アレクサンドロス大王の征服やそれ以前のギリシャ植民活動の影響により強くヘレニズム化され、その後の数世紀で現地の言語は同化により使用されなくなった。その結果、アナトリア語はインド・ヨーロッパ語族で最初に十分な資料をもつ系統として絶滅した。現存する子孫を持たない他の主要な系統としては、紀元8世紀で記録が途絶えるトカラ語がある。
ピシディア語の碑文は紀元2世紀まで存在するが、ほとんど資料のないイサウリア語(おそらく後期ルウィ語方言)は、最後に絶滅したアナトリア語と考えられている。考古学者によって、紀元5世紀までのものを含む墓碑銘などの碑文資料が発見されている。
アナトリア語の語源を持つ個人名は、ヘレニズム期およびローマ期の資料から知られ、元の言語が消滅した後も残存していた可能性がある。例として、キリキア語の Ταρκυνδβερρας Tarku-ndberras 「タルフンツの助け」、イサウリア語の Ουαξαμοας Ouaxamoas < *Waksa-muwa 「祝福の力(?)」、リュカオニア語の Πιγραμος Pigramos 「輝かしい、力強い」(比較:カリア語 𐊷𐊹𐊼𐊥𐊪𐊸 Pikrmś、ルウィ語 pīhramma/i-)がある。
いくつかの古代ギリシャ語はアナトリア語からの借用語と考えられている。例として以下が挙げられる:
- Apóllōn(ドーリス方言: Apéllōn、キプロス方言: Apeílōn)、*Apeljōn に由来、ヒッタイト語 Appaliunaš と同系;
- dépas 「杯・容器」、ミケーネ語 di-pa、象形ルウィ語 ti-pa-s 「空・杯・碗」と対応(比較:ヒッタイト語 nēpis 「空・杯」);
- eléphās 「象牙」、ヒッタイト語 laḫpa(メソポタミア由来、比較:フェニキア語 ʾlp、エジプト語 ꜣbw);
- kýanos 「濃青の釉薬・エナメル」、ヒッタイト語 kuwannan- 「銅鉱・藍銅鉱」(最終的にはシュメール語 kù-an);
- kýmbachos 「兜」、ヒッタイト語 kupaḫi 「頭飾り」;
- kýmbalon 「シンバル」、ヒッタイト語 ḫuḫupal 「木製打楽器」;
- mólybdos 「鉛」、ミケーネ語 mo-ri-wo-do、*morkw-io- 「暗い」、リュディア語 mariwda(ś)-k 「暗いものたち」と対応;
- óbryza 「金精錬用の容器」、ヒッタイト語 ḫuprušḫi 「容器」;
- tolýpē 「羊毛の玉」、ヒッタイト語 taluppa 「塊・塊土」(あるいは楔形ルウィ語 taluppa/i)。
また、アルメニア語の語彙の一部もヒッタイト語やルウィ語からの借用とされる可能性がある。例えば Arm. զուռնա zuṙna(ルウィ語 zurni「角」と比較)。
言語の特徴
]クレイグ・メルチャートによると、ほかのインド・ヨーロッパ語派の諸言語とくらべてアナトリア語派は以下のような固有の特徴を持つ。
- 一人称単数の代名詞が母音uを持つ(ヒッタイト語 ammug など)。おそらく二人称(tug)の影響。
- 指示代名詞「あれ」を意味する *obó- がある。
- 「与える」という意味の動詞が「取る」という意味の動詞から派生している。
- 命令法三人称に *-u が加えられる。
- 分裂能格を持つ。とくに古ヒッタイト語では能格が第9の格として存在する。
- 接語が発達しており、最初のアクセントを持つ語の後ろに複数の接語を加えることができる。
- 最初の文以外は語頭または接語として接続語を使う必要がある。
音声的には、それまで理論的に予測されていただけだったインド・ヨーロッパ祖語の喉音の一部が残っている点が特筆される(喉音理論を参照)。形態論の上でも、r/n の異語幹曲用(ヒッタイト語 ešḫar(属格 ešḫnas)「血」)のような非常に古い特徴が見られる。
その一方で、名詞の性は生物と無生物(通性と中性)の区別しかなく、男性と女性の区別がない。これがほかの諸言語より古い形態なのか、アナトリア語派で対立が消滅したのかは意見が分かれる。双数も存在しない。
動詞の活用はほかの諸言語とかなり異なっている。ギリシア語やサンスクリットに見られるアオリストや接続法、希求法などは存在せず、近代語に見られるような迂言法が発達している。
脚注
]- ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Anatolian”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History
- ^ Models assuming an Anatolian PIE homeland of course do not assume any migration at all, and the model assuming an Armenian homeland assumes straightforward immigration from the East.
- ^ Gray, Russell D.; Atkinson, Quentin D. (2003). "Language-Tree Divergence Times Support the Anatolian Theory of Indo-European Origin" (PDF). Nature. 426 (6965): 435–439. Bibcode:2003Natur.426..435G. doi:10.1038/nature02029. PMID 14647380. S2CID 42340. Archived from the original (PDF) on 2011-05-20.
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外部リンク
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- “Indo-European Languages: Anatolian Family”. University of Texas at Austin. 2012年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月7日閲覧。
- Melchert, H. Craig. “Anatolian Databases”. UCLA. 2012年2月7日閲覧。 Luwian, Lycian and Lydian.
- インド・ヨーロッパ語族
- アナトリア語派
- 古代語
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