ヤマトホールディングス
ヤマトホールディングス株式会社(英: YAMATO HOLDINGS CO., LTD.)は、東京都中央区銀座に本社を置く持株会社。大手運送会社のヤマト運輸を所有する。
![]() ヤマトホールディングス及びヤマト運輸本社。 | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社 |
市場情報 | 東証プライム 9064 1949年5月16日上場 |
略称 | ヤマトHD |
本社所在地 | 〒104‐8125 東京都中央区銀座二丁目16番10号 |
設立 | 1929年(昭和4年)2月21日 (第二大和運輸株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7010001034964 |
事業内容 | トラック輸送、航空輸送、海運、倉庫 |
代表者 |
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資本金 |
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発行済株式総数 |
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売上高 |
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経常利益 |
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純利益 |
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純資産 |
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総資産 |
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従業員数 |
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決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 有限責任監査法人トーマツ |
主要株主 | |
主要子会社 | ヤマト運輸、スワンベーカリー |
関係する人物 | 山内雅喜(元社長) |
外部リンク | ヤマトホールディングス |
特記事項:経営指標は以下を参照。 ヤマトホールディングス『第160期 有価証券報告書』、2025年6月13日。 |
概要
物流、引越、金融会社などを傘下に持ち、東証第1部に上場する。日経平均株価およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。
かつては、ヤマト運輸を中心としたグループ体制を敷いていたが、分社化と再編を進め、主力の宅配事業を中核に事業部門ごとに別会社とした。これにより、ヤマトホールディングスの傘下に事業会社が入る体制となっている。
沿革
創業
- 1919年(大正8年)11月29日 - 初代大和運輸株式会社を設立。初代本社は東京都東京市京橋区(現・東京都中央区)東豊玉河岸4番地に所在。同日、京橋区木挽町(現・中央区銀座三丁目)の朝日倶楽部で創立総会。
- 当初は『太陽運輸』にするつもりであったが、周囲の者と相談し『大和運輸』となった。日本の古称である「大和」に加え、創業者の小倉康臣が一時預けられていた上田家の屋号『山登屋』を意識したものであった。当時の資本金は10万円(払込25000円)、株主37人、株式数2000株。初代社長は小倉康臣(同社専務)の義兄であり、常務や取締役、監査役も小倉の親戚や知人で占められていた。
- 1922年(大正11年)
- 12月 - 三越呉服店(現・三越)の横浜取扱所への商品輸送を契約した。
- 1923年(大正12年)
- 4月1日 - 三越呉服店と商品配達の正式な約定書を締結(同年1月に上記の契約を基盤に東京 - 横浜間の定期輸送を開始)。
- 9月 - 関東大震災により本社・保有車13台中1台を焼失。代々木上原に本拠地を10日間設置し、後に四谷出張所に移転し救援と復興輸送にあたる。同年9月4日からは震災復興輸送のため省庁や自治体にトラックを常時提供する。
大和運輸
- 1929年(昭和4年)
- 2月21日 - 増資の手段として、第二大和運輸株式会社設立。現在のヤマトホールディングスは、この日を登記上の設立年月日としている(登記手続きは同年4月9日実施)。
- 5月1日 - 第二大和運輸が初代大和運輸を合併のうえ、2代目大和運輸株式会社に社名変更。
- 6月 - 日本初の路線トラック事業(東京-横浜間、定期積み合わせ輸送)を開始。
- 1936年(昭和11年)
- 8月 - 定期便を「大和便」と名称変更。
- 1939年(昭和14年)
- 8月 - 大和運輸産業報国会結成。
- 1944年(昭和19年)
- 1月 - 三和運送、第二三和運送、相互運送を買収合併。
- 6月17日 - 軍需省から輸送協力の要請。これを受け、同年8月16日より関東軍需監理局第二特別輸送隊に人員17名を供出し、同隊の運営にあたる。
- 1945年(昭和20年)
- 2月6日 -「光輸送隊」が結成。中島飛行機(現・SUBARU)武蔵製作所の移転作業を行う。
- 5月 - 大和便の人員と車両がすべて「光輸送隊」に吸収。大和便が完全休止。
- 8月15日 - 太平洋戦争終戦。それまでの戦災により向島、四谷、蒲田、浜松町のっかう営業所、墨堤寮が焼失した他、本社倉庫が半焼し、借家15件(深川、富沢町、浅草、小石川、日本橋、淀橋、横浜、神奈川、千葉、八王子、水戸、熊谷、平塚の各営業所、吉野町倉庫、向島橋場寮)が焼失。戦死者7名、重傷者1名、被災者238名、喪失車両27台の被害が出た。なお、銀座の本社社屋は類焼を免れ、トラックのほとんどが井の頭恩賜公園に駐在していたため、340台(うち実働可能なのは200台程度)も焼失を免れている。
- 9月 - 第二次世界大戦終戦。営業所が復活開始。
- 1946年(昭和21年)
- 1月15日 - 大和運輸従業員組合(現・ヤマト運輸労働組合)が設立。
- 2月8日 - 芝浦営業所が米軍に接収され業務一切は高浜町営業所に移管(1953年4月に接収解除され、梱包と通運倉庫に使用)。
- 1947年(昭和22年)
- 3月 - 社長制を採用。小倉康臣専務が社長に就任。
- 1948年(昭和23年)
- 1月4日 - 東京株式取引所の店頭売買に初登録される。
- 1952年(昭和27年)
- 2月 - 京浜港で海上貨物の取り扱い開始。
- 1956年(昭和31年)
- 4月 - 通運部、大和コンテナの使用を開始。
- 1957年(昭和32年)
- 4月1日 - 大和運輸貯蓄組合が発足
- 6月25日 - 大和運輸共済会(現・ヤマトグループ社員福祉センター)を設立。
- 7月 - 現在の会社ロゴマーク「親子クロネコ」を制定。同年8月より使用開始。
- 同年3月のアライド・バンラインズとの業務提携時、社長の小倉康臣がアライドの「白猫の親子猫マーク」に強く惹かれて許諾を得、広報担当者の子弟が落書きした黒猫をアレンジして作成。2年後の1959年11月に大阪の通運会社が同社のトラックにアライド社のマークに酷似したネコのマークを表示し、そのマークを商標として特許庁に登録出願したため、ヤマト運輸側が同社のマークが使用出来なくなるのを防ぐため、直ちに異議申し立てを行い、以後長期の争いの末、1967年(昭和42年)8月、漸く大和運輸のネコマークが特許庁に登録された。
- 10月3日 - 旧本社隣接地にあった京橋営業所跡地(534 m2、東銀座2丁目3番地)で、本社新社屋新築工事起工・地鎮祭を挙行。
- 1958年(昭和33年)
- 9月1日 - 大和運輸健康保険組合(現・ヤマトグループ健康保険組合)を設立。
- 1960年(昭和35年)
- 2月 - 車の塗装デザインを淡いコバルトグリーンと象牙色の2色に変更。
- 2月13日 - 大阪支店開設。同年3月には東京 - 大阪間路線運行開始。
- 1961年(昭和36年)
- 3月 - 副社長制を導入(専務取締役の日野光雄が就任)。
- 1963年(昭和38年)
- 10月 - 東京証券取引所第一部から第二部に銘柄指定替え。
- 1965年(昭和40年)
- 9月30日 - 英文社名を、YAMATO TRANSPORT CO.,LTDに決定。
- 1966年(昭和41年)
- 1月30日 - 大和運輸厚生年金基金(現・ヤマトグループ企業年金基金)を設立。
- 1967年(昭和42年)
- 1月1日 - 社章ならびにネコマークの使用基準などを定める標章規程を制定(同年8月に商標登録)。
- 1970年(昭和45年)
- 2月1日 - 静岡運輸を合併。
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)
- 2月1日 - 引越センターを開設。
- 1974年(昭和49年)
- NEKOトータルシステム運用開始。
- 1976年(昭和51年)
- 1月20日 - 関東地方を対象にした「宅急便」サービスを開始。この間、「宅急便」の全国展開が図られていくが、この過程で監督官庁の運輸省(現・国土交通省)の事業認可の問題があり、山梨県などでは行政訴訟にまで発展した。
- 3月23日 - 宅急便の商標登録を出願。
- 3月 - 初のテレビコマーシャルを放映。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 3月 - 東京 - 大阪間で「小さな引越便」(現・らくらく家財宅急便)を発売。
- 4月28日 - 宅急便最初の大型ターミナルが竣工。
- 7月 - 常務会で『ヤマト運輸』への社名変更が協議されたが、正式に社名を変更するとトラックのボディーをはじめ、様々な箇所のリニューアルに多額の費用を要するため、正式な社名変更は3年後を目処に実施するとし、当面は公文書目など制約のあるものを除いて、広告宣伝など可能な範囲で『ヤマト運輸』という名称を使用することが決定された。
- 10月 - 社名のカタカナ文字の使用方針。使用基準および字体が決定。法的変更は無し。
- 1979年(昭和54年)
- 2月28日 - 創業時からの取引先であった三越との取引停止(原因は三越事件・燃える秋を参照のこと)。これにより三越百貨店の商品配達業務から撤退し、三越主張所を閉鎖。
- 2月 - 第1回謝罪発行
- 4月1日 - 宅配便のCMソングを制作し、ラジオにて放送開始。
- 1981年(昭和56年)
- 10月5日 - 第2次NEKOシステムの問い合わせシステムの運用を開始。
ヤマト運輸
- 1982年(昭和57年)
- 4月1日 - 宅急便の日曜祝日の営業を正式に開始。
- 4月 - 宅急便マークが商標登録される。
- 10月1日 - ヤマト運輸株式会社に商号変更。取扱店向け広報誌『クロネコだより』創刊。
- 10月 - 宅急便の日曜祝日営業を完全実施。
- 1984年(昭和59年)
- 4月1日 - 「ゴルフ宅急便」を発売。
- 1986年(昭和61年)
- 10月1日 - ポータブルポスとワークステーションを使用する第3次NEKOシステムを運用開始。
- 1987年(昭和62年)
- 7月18日 - フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』の輸送を担当。
- 8月1日 - クール宅急便を発売。
- 1989年(昭和64年・平成元年)
- 5月16日 - 本社にフレックスタイム制を導入。
- 11月1日 - 空港宅急便を発売。
- 1990年(平成2年)
- 9月11日 - アメリカの貨物航空会社大手ユナイテッド・パーセル・サービスと提携。同社と合弁で、UPS Yamato Partnership USAを設立。
- 同年中 - ユナイテッド・パーセル・サービスと合弁で、UPSヤマトエクスプレスを設立(2004年3月31日に合弁を解消。業務提携に変更の上、UPSヤマトエクスプレスはユナイテッド・パーセル・サービス社100%の出資会社に変更)。
- 1991年(平成3年)
- 3月 - シロネコ・クロネコのキャラクター誕生。
- 6月20日 - 『ヤマト運輸70年史』発行。
- 同年中 - 宅急便の四国地区のフランチャイジー、四国高速運輸(現在の同名会社とは別法人)を買収、同社は四国ヤマト運輸に社名変更。
- 1993年(平成5年)4月 - 第4次NEKOシステムを導入(1994年〔平成6年〕9月に全店導入が完了)。
- 1995年(平成7年)4月 - 社訓、経営理念、企業姿勢、社員行動指針からなる『ヤマト運輸企業理念』を制定。
- 1996年(平成8年)
- 8月1日 - 宅急便が伊豆七島(青ヶ島、神津島、利島、新島、式根島、御蔵島、三宅島)に販路拡大。
- 8月 - クロネコメール便、テスト販売開始。
- 12月 - 宅急便が年中無休化(以前は年末年始を休業日としていた)
- 1997年(平成9年)
- 3月 - クロネコメール便発売。
- 9月5日 - 東京(主)新ターミナルを竣工。業界初の託児所(10月1日運営開始)を併設。
- 11月1日 - 小笠原諸島(母島、父島)への拡大。離島を含む全国ネットワークの完成。
- 1999年(平成11年)
- 10月 - 第5次NEKOシステムを導入。
- 2000年(平成12年)
- 1月 - 台湾の食品・小売業者大手統一企業と提携。同社と合弁で、統一速達股份有限公司を設立。同年10月6日には同社と共同で宅急便を発売。
- 1月 - ユナイテッド・パーセル・サービスとの合弁を発展的に解消。航空輸送業務を再開(米国ヤマト運輸)。
- 3月31日 - 美術品取扱業者として初めてISO9002を認証取得。
- 2003年(平成15年)
- 11月4日 - 東京国際空港と新千歳空港で運航された深夜フライト便を利用した、関東(1都7県)と北海道間を一晩で結ぶ超速宅急便のサービス開始(2018年〔平成30年〕10月31日サービス終了)。
- 4月1日
- 四国ヤマト運輸と九州ヤマト運輸を吸収合併のうえ、沖縄を除くエリアを直轄化。
- ヤマト物流設計を設立。
- ロジスティクス事業の一部を、ヤマトロジスティクス(旧商号のヤマト・ロジスティクス・プロデュースより変更)に吸収分割。
- フォワーティング事業を、ヤマトグローバルフレイトに吸収分割。
- クロネコメール便リニューアル(全国10か所にクロネコメール便ターミナル新設、メール便専用車両を開発、50g以内、100g以内の新サイズ設定、一部地域を除き翌日配達とする)。
- 2004年(平成16年)
- 3月23日 - 個人向けクロネコメール便を発売。
- 5月 - コンビニエンスストア・宅急便取扱店でクロネコメール便の取次ぎ開始。
- 7月1日 - 宅急便『お届け通知サービス』を開始。
- 7月7日 - 超速宅急便のエリアを九州に拡大(佐賀空港 - 東京国際空港間に就航する夜間貨物定期便を利用)。
ヤマトホールディングス
- 2005年(平成17年)
- 6月 - 第6次NEKOシステムを導入。
- 11月1日 - 日本の運送業界初となる持株会社制に移行。旧商号のヤマト運輸からヤマトホールディングス株式会社に変更のうえ、事業部門を2代目ヤマト運輸(旧商号のヤマト運輸分割準備より変更)に吸収分割。
- 2006年(平成18年)
- 2月1日 - 宅急便店頭受取サービスを開始。
- 5月10日 - 海運最大手の日本郵船と戦略的提携。
- 10月1日 - クロネコメール便リニューアル(重量制からサイズ制に、配達日数が3日から4日に)。同日、クロネコメール便速達サービスを開始。
- 2007年(平成19年)
- 5月 - 小売業大手の丸井と資本・業務提携。
- 2008年(平成20年)
- 4月1日 - 国内航空便事業(エキスプレス事業本部)を、ヤマトグローバルエキスプレスに移管。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2月8日 - 香港で宅急便事業を開始(香港ヤマト運輸)。
- 5月18日 - 京福電気鉄道の路面電車を利用した宅急便の輸送を開始。
- 9月19日 - マレーシアで宅急便事業を開始。
- 2015年(平成27年)
- 3月31日 - クロネコメール便を廃止。
- 2017年(平成29年)
- 第8次NEKOシステムを導入。
- 2021年(令和3年)
- 1月21日 - 2024年4月から日本航空と共同で貨物専用機の運航計画を発表。運航委託先はスプリング・ジャパンとなる。
- 4月1日 - 64年ぶりにCIを刷新。ヤマト運輸を含むグループ8社を合併・分割のうえ、事業会社へ移行する予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響等を踏まえ、グループの再編は行うものの、同社を再編当事者から外し、引き続きヤマトグループの純粋持株会社とすることが同社取締役会において決議された。
- 2022年(令和4年)
- 1月17日 - ヤマトホームコンビニエンスの過半数超の株式を、アート引越センターに売却。
- 2024年(令和6年)
- 4月11日 - 国内定期貨物便を、日本航空、スプリング・ジャパンに委託して運航開始
グループ企業
→「ヤマトグループ」を参照
テレビ番組
- プロジェクトX〜挑戦者たち〜 「腕と度胸のトラック便」~翌日宅配・物流革命が始まった~(2001年5月29日、NHK)
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 物流最前線!宅急便のすべてを見せます(2011年10月13日、テレビ東京)
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 物流イノベーション! 進化し続ける『ヤマトのDNA』(2011年10月20日、テレビ東京)
脚注
出典
- ^ ヤマトホールディングス株式会社 定款 第1章第1条
- ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ^ “構成銘柄一覧 JPX日経インデックス400”. 日経平均プロフィル. 2025年2月26日閲覧。
- ^ 純粋持株会社体制への移行および役員人事について - ヤマト運輸株式会社 平成17年3月3日
- ^ a b c d 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)595頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)11頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)596頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)34頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)597頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)598頁。
- ^ a b c d e f 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)596頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)70頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)600頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)601頁。
- ^ a b c d 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)601頁。
- ^ ヤマト運輸の宅配便はなぜ"クロネコ"ヤマトというの? -広報さんに聞いてみた | マイナビニュース
- ^ 朝日新聞 be編集グループ 『社名・商品名検定 キミの名は』 朝日新聞社、2008年、44ページ、ISBN 9784022731913
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)91頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)99頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)602頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)112頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)604頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)604 - 605頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)605頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)607頁。
- ^ a b c d 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)608頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)609頁。
- ^ a b c d e 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)610頁。
- ^ a b c d 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)611頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)178頁。
- ^ ヤマトHDは実に31年ぶり三越と本格取引を再開へ 『東洋経済オンライン』2010年03月30日
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)612頁。
- ^ a b c d e f 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)613頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)615頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)617頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)619頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)620頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)627頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)621頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)622頁。
- ^ a b c d e f g 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)623頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)624頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)350頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)350頁。
- ^ a b 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)624頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)350、627頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)625頁。
- ^ a b c d e 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)626頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)350頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)628頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)628頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)629頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)630頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)632頁。
- ^ a b c 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)633頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)636頁。
- ^ 『ヤマトグループ 100年史』(2020年11月29日、ヤマトホールディングス株式会社編集・発行)640頁。
- ^ 持続的な物流ネットワークの構築に向けてフレイターの運航を2024年4月から開始 - ヤマトホールディングス 2022年1月21日
- ^ 2024年4月から運航を開始する貨物専用機の運航路線・運航便数を決定 - ヤマトホールディングス 2022年11月22日
- ^ “当社グループ経営体制の再編(連結子会社との簡易吸収合併および簡易吸収分割)の決定に関するお知らせ”. ヤマトホールディングス株式会社. 2020年1月24日閲覧。
- ^ “(開示事項の変更)当社グループ経営体制の再編(連結子会社間の簡易吸収合併および簡易吸収分割)に関するお知らせ”. ヤマトホールディングス株式会社. 2020年5月15日閲覧。
- ^ “ヤマト、引っ越し事業子会社株をアートに売却…過大請求発覚で業績低迷”. 読売新聞 (2021年8月2日). 2021年8月4日閲覧。
- ^ 持続可能で強靭な物流ネットワーク構築に向けて4 月 11 日(木)から貨物専用機の運航を開始 - ヤマトホールディングス、日本航空、スプリング・ジャパン 2024年4月16日
- ^ 「腕と度胸のトラック便」~翌日宅配・物流革命が始まった~ - NHKアーカイヴス 2001年5月29日
- ^ 物流最前線!宅急便のすべてを見せます - テレビ東京 2011年10月13日
- ^ 物流イノベーション! 進化し続ける『ヤマトのDNA』 - テレビ東京 2011年10月20日
関連項目
- 日本郵船
- ユナイテッド・パーセル・サービス(ユーピーエス・ジャパン)
- ヤマト銀座ビル
- 課長島耕作 - ヤマトソリューションシステムのイメージキャラクター。
外部リンク
- ヤマトホールディングス
ウィキペディア, ウィキ, 本, 書籍, 図書館, 記事, 読む, ダウンロード, 無料, 無料ダウンロード, 携帯電話, スマートフォン, Android, iOS, Apple, PC, ウェブ, コンピュータ, ヤマトホールディングス に関する情報, ヤマトホールディングス とは何ですか? ヤマトホールディングス とはどういう意味ですか?
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