1973年の阪急ブレーブスでは、1973年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
1973年の阪急ブレーブス |
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成績 |
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プレーオフ敗退 |
パシフィック・リーグ2位 |
PO | 2勝3敗(対南海) |
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77勝48敗5分 勝率.616 |
前期3位 | 34勝29敗2分 勝率.540 |
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後期優勝 | 43勝19敗3分 勝率.694 |
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本拠地 |
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都市 | 兵庫県西宮市 |
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球場 | 阪急西宮球場 |
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球団組織 |
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オーナー | 森薫 |
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経営母体 | 阪急電鉄 |
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監督 | 西本幸雄 |
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« 1972 1974 »
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この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の11年目のシーズンである。
概要
1969年の黒い霧事件以降、人気が低迷するパ・リーグは2シーズン制を導入。前年まで2連覇のチームは優勝候補の本命と言われたが、投手陣の不調もあって開幕ダッシュに失敗。6月に入って巻き返したものの、南海やロッテをとらえることはできず前期は3位で終了。後期は開幕後から快進撃が始まり、特に前期優勝の南海相手に同一カードで12連勝(1分挟む)するなど、貯金24を稼いで優勝。プレーオフでは投打ともに一枚上の阪急が有利と言われ、最終戦までもつれ込むもその最終戦でエースの山田久志が終盤に広瀬叔功に本塁打を浴びるなどして2点を失う。9回裏に代打の切り札当銀秀崇がすぐに本塁打でお返しするも、もう一人の代打・高井保弘が江本孟紀の前に空振り三振。結局、前期を制した南海に2勝3敗で敗れパ・リーグ3連覇はならなかった。投手陣は足立光宏が年齢からくる衰えを隠せず4勝に終わったものの、山田と米田哲也がともに15勝をあげるなど好調で、水谷孝が12勝、前年ローテ入りの戸田善紀が負け越しながらも防御率3点台に食い込み、チーム防御率も3.30でリーグ1位。打撃陣は前年106盗塁の福本豊をはじめ、2番の大熊忠義、4番の長池徳士などもそれなりの成績を残し打率・本塁打でリーグ1位となった。シーズン終了後、西本監督は小林公平オーナー代行に辞表を提出し11年間の監督生活に別れを告げた。
チーム成績
レギュラーシーズン
開幕オーダー 1 | 中 | 福本豊 |
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2 | 二 | 住友平 |
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3 | 一 | 高井保弘 |
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4 | 右 | 長池徳士 |
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5 | 三 | 森本潔 |
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6 | 左 | 大熊忠義 |
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7 | 遊 | 大橋穣 |
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8 | 捕 | 種茂雅之 |
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9 | 投 | 足立光宏 |
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1973年パシフィック・リーグ順位変動 前期 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 前期成績 |
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1位 | 太平洋 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
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2位 | ロッテ | 1.0 | ロッテ | 3.5 | ロッテ | 2.0 |
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3位 | 南海 | 3.0 | 太平洋 | 7.0 | 阪急 | 3.5 |
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4位 | 日拓 | 4.5 | 阪急 | 10.0 | 太平洋 | 5.0 |
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5位 | 阪急 | 5.0 | 日拓 | 12.0 | 日拓 | 12.0 |
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6位 | 近鉄 | 7.5 | 近鉄 | 13.5 | 近鉄 | 13.5 |
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| 後期 順位 | 8月終了時 | 9月終了時 | 後期成績 |
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1位 | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
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2位 | 日拓 | 7.0 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 5.5 |
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3位 | ロッテ | 7.5 | 日拓 | 11.5 | 南海 | 13.0 |
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4位 | 南海 | 10.0 | 南海 | 12.5 | 日拓 |
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5位 | 太平洋 | 11.0 | 太平洋 | 15.5 | 太平洋 | 15.5 |
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6位 | 近鉄 | 15.5 | 近鉄 | 23.0 | 近鉄 | 25.0 |
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前期最終成績 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 38 | 26 | 1 | .594 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 35 | 27 | 3 | .565 | 2.0 |
3位 | 阪急ブレーブス | 34 | 29 | 2 | .540 | 3.5 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 32 | 30 | 3 | .516 | 5.0 |
5位 | 日拓ホームフライヤーズ | 25 | 37 | 3 | .403 | 12.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 23 | 38 | 4 | .377 | 13.5 |
後期最終成績 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 43 | 19 | 3 | .694 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 35 | 22 | 8 | .614 | 5.5 |
3位 | 南海ホークス | 30 | 32 | 3 | .484 | 13.0 |
3位 | 日拓ホームフライヤーズ | 30 | 32 | 3 | .484 | 13.0 |
5位 | 太平洋クラブライオンズ | 27 | 34 | 4 | .443 | 15.5 |
6位 | 近鉄バファローズ | 19 | 45 | 1 | .297 | 25.0 |
1973年パシフィック・リーグ最終成績 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 77 | 48 | 5 | .616 | -9.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 70 | 49 | 11 | .588 | -5.5 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 59 | 64 | 7 | .480 | 7.5 |
5位 | 日拓ホームフライヤーズ | 55 | 69 | 6 | .444 | 12.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 42 | 83 | 5 | .336 | 25.5 |
*優勝はプレーオフで決定。3位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
1973年 パシフィック・リーグプレーオフ 日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月19日(金) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月20日(土) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 9 - 7 | 南海ホークス |
10月21日(日) | 第3戦 | 雨天中止 | 阪急西宮球場 |
10月22日(月) | 南海ホークス | 6 - 3 | 阪急ブレーブス |
10月23日(火) | 第4戦 | 南海ホークス | 1 - 13 | 阪急ブレーブス |
10月24日(水) | 第5戦 | 南海ホークス | 2 - 1 | 阪急ブレーブス |
年間優勝:南海ホークス |
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オールスターゲーム1973
→詳細は「1973年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
監督 | 西本幸雄 |
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ファン投票 | 長池徳二 | 福本豊 |
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監督推薦 | 米田哲也 | 大橋穣 | 加藤秀司 |
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できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー |
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
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加藤秀司 | 首位打者 | .337 | 初受賞 |
長池徳二 | 本塁打王 | 43本 | 2年連続3度目 |
打点王 | 109打点 | 4年ぶり2度目 |
福本豊 | 最多安打 | 152本 | 初受賞 |
盗塁王 | 95個 | 4年連続4度目 |
米田哲也 | 最優秀防御率 | 2.47 | 初受賞 |
ベストナイン |
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選手名 | ポジション | 回数 |
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加藤秀司 | 一塁手 | 初受賞 |
大橋穣 | 遊撃手 | 2年連続2度目 |
長池徳二 | 外野手 | 5年連続6度目 |
福本豊 | 2年連続2度目 |
ダイヤモンドグラブ賞 |
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選手名 | ポジション | 回数 |
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大橋穣 | 遊撃手 | 2年連続2度目 |
福本豊 | 外野手 | 2年連続2度目 |
ドラフト
→詳細は「1973年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 江川卓 | 投手 | 作新学院高 | 拒否・法政大学進学 |
2位 | 山下浩二 | 投手 | 熊本県立第二高 | 入団 |
3位 | 池田昭 | 投手 | 秋田商業高 | 入団 |
4位 | 土居靖典 | 内野手 | 高松第一高 | 拒否・慶應義塾大学進学 |
5位 | 前田亨 | 捕手 | 日本通運 | 入団 |
脚注
注釈
出典
- ^ “年度別成績 1973年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月25日閲覧。
- ^ LEGEND OF Bs 2011 ~蘇る黄金の70's~オリックス・バファローズ公式HP
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