1936年度の将棋界
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1936年度の将棋界(1936ねんどのしょうぎかい)では、1936年(昭和11年)4月から1937年(昭和12年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。
できごと
]1936年4月
]- 升田幸三が四段昇段。三段から特別扱いで中外商業新報(大阪)戦に出場。7連勝を達成した。
1936年6月
]- 29日 - 神田事件により分裂していた将棋界が全面和解。日本将棋連盟(旧)、日本将棋革新協会、十一日会が解散し、「将棋大成会」が結成される。
1936年8月
]- 5日 - 第1期名人戦の名人決定特別リーグ戦が再開。
1936年11月
]- 6日 - 小菅剣之助八段の長年の功績を称え、「名誉名人」の称号が贈られた。
- 升田幸三四段が中外商業新報(東京)の五段登竜門戦に出場。6戦全勝で優勝した。
1936年12月
]- 18日 - 中外商業新報(東京)の五段登竜門戦の実績により、升田幸三四段、大和久彪四段、畝美与吉四段の3名が五段昇段。
1937年2月
]- 5~11日 - 坂田三吉と木村義雄八段の対局「南禅寺の決戦」が行われた。結果は95手で木村義雄八段の勝利。
1937年3月
]- 22~28日 - 坂田三吉と花田長太郎八段の対局「天竜寺の決戦」が行われた。結果は169手で花田長太郎八段の勝利。
昇段・引退
]| 昇段 | 棋士 | 昇段日 | 注 |
|---|---|---|---|
| 四段 | 升田幸三 | 1936年4月 | |
| 高島一岐代 | 1936年 | ||
| 小堀清一 | 1936年 | ||
| 大和久彪 | 1936年 | ||
| 橋爪敏太郎 | 1936年 | ||
| 野村慶虎 | 1936年 | ||
| 五段 | 梶一郎 | 1936年 | |
| 加藤治郎 | 1936年 | ||
| 升田幸三 | 1936年12月18日 | ||
| 大和久彪 | 1936年12月18日 | ||
| 畝美与吉 | 1936年12月18日 | ||
| 六段 | 大野源一 | 1936年 | |
| 七段 | 坂口允彦 | 1936年 | |
| 八段 | 萩原淳 | 1936年 |
脚注
]- ^ a b 加藤、原田、田辺 1999, p. 221.
- ^ 加藤、原田、田辺 1999, pp. 221–222.
- ^ a b “日本将棋の歴史(16)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g 加藤、原田、田辺 1999, p. 222.
- ^ “日本将棋の歴史(17)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
- ^ 加藤、原田、田辺 1999, pp. 222–223.
- ^ “日本将棋の歴史(18)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
- ^ 加藤、原田、田辺 1999, p. 223.
- ^ 日本将棋連盟 1968, p. 296.
- ^ a b 日本将棋連盟 1968, p. 284.
- ^ “棋士紹介-物故棋士一覧-”. 日本将棋連盟. 2009年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月16日閲覧。
- ^ a b 日本将棋連盟 1968, p. 298.
- ^ a b c 日本将棋連盟 1968, p. 295.
- ^ 日本将棋連盟 1968, p. 283.
参考文献
]- 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0。
- 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。
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